ラビュリントイオ・ポトニア(迷宮の女主人)(4)

さて、線文字Bで書かれた粘土板にポトニアの語があったからといって、私がなぜそんなに執着するかと言うと、クノッソスから出土した粘土板に、日本語にすれば迷宮の女主人にあたる言葉、Laburinthoio Potnia、が書かれていたからです。このことを私は、先に紹介したチャドウィックの「ミュケーナイ世界」という本

ミュケーナイ世界

ミュケーナイ世界

の中に見つけました。

 ポトニアに言及した粘土板を全部集めてみると、注目すべき事実が浮かび上がってくる。すなわちそれは(中略)前後いずれかに限定修飾語を伴っていることである。(中略)クノーソスではda-pu2-ri-to-jo po-ti-ni-ja(Gg 702)という用例がある。このda-pu2-ri-toはlaburinthos「ラビュリントス」(英語のlabyrinth「迷宮」)という語に非常によく似ている。ちなみに、laburinthosは -nthosという接尾辞が示すように純粋なギリシア語ではなく、ギリシア先住民族の言語からの借用語であるが、このような借用語においてdとlがしばしば混同されることは、たとえばOdusseus「オデュッセウス」がギリシア語の方言によってはOluseusとなったり、ラテン語においてはさらに新たな変化を伴ってUlixesないしはUlyssesとなったりするのと同様な現象である。


「ミュケーナイ世界」J.チャドウィック著 より


それでもなぜ迷宮の女主人という言葉が私を惹きつけたか、まだよく説明出来ていないと思います。私を惹きつけた理由のひとつには、この粘土板がクノッソスというクレタ島の土地で出土された、ということにあります。というのは、古代ギリシアの神話ではクレタ島のクノッソスにはミノスという名の権勢の強い王がおり、その王が作らせた迷宮があったという伝説があったからです。その伝説を、呉茂一氏の有名な「ギリシア神話 下」からの抜粋で紹介します。

ところでこのパーシパエーには、怪しい伝説が残されている。(中略)クレーテー*1の王位継承について(中略)争いが起ったとき、ミーノース*2は神寵が自分の上にあり、それゆえ自分が正当な継承者だ、と主張した。そしてその証拠に自分の神々への祈りが、立ちどころに叶えられるのを示そうとして、ちょうどポセイドーン*3を祭るおりだったので、神が犠牲のための獣を、海底から遣わされるよう祈り求めた。するとポセイドーンはそれに応えて、波間から世に類なく美しい牡牛を送り出してミーノースに与えた。この証しによって、ミーノースは異議なく王位を確保することができた。
 ところがこのように美しい牡牛を手に入れると、ミーノースはこれを贄とするのが惜しくなって、ポセイドーンには他のありふれた牛を献げ、その牡牛は牧場に送って自分の物とし、神々への誓言を反故にしてしまった。(中略)
 これに対して当然ポセイドーン神は、激しい憤りをもたれ、報復として彼の妻であるパーシパエーに、その牡牛に対して自然でない、しかも抑制しえないような恋慕の情をひき起こさせた。(中略)
パーシパエーは月日の巡りにつれ、ついに一人の怪しい子供を産むことになった。それは人間の身体で牛の頭をもった嬰児で、ミーノースの養父にちなんでアステリオスと名づけられたが、一般にはミーノース王の牛、すなわちミーノータウロスと呼ばれていた。(中略)
 この事がついに露見すると、王はダイダロスに命じいわゆるラビュリントス迷宮を作らせてミーノータウロスをその奥に封じ込め、ダイダロスとその子イーカロスも同じくその中に押し込め彼に仕えさせた。この建物は数多くの室と複雑な廊下をもち、一度中へ入れば容易に出てくることをゆるされなかった。その後ミーノースがアッティケー*4を征服した際、彼は毎年(中略)七人の青年と七人の少女とをアテーナイ*5から犠牲として要求した。(中略)
アテーナイの町は、悲しみと不安とで喪の中にあるような黒々とした憂鬱にとじ込められた。年頃の子をもつ親たちは、籤を引きに行かなければならなかった。なかにはアイゲウス*6を非難する者も少なくなかった。
 この事情を父*7から聞き知った青年テーセウスは、自分から進んで籤も引かずに、この一行に加えられることを志願して出た。(中略)
 テーセウスの一行はともかく無事にクレーテー島に到着して王の前に引き出された。一説(中略)では競技会に出場し、ともかくこれらの機会に王女アリアドネー(中略)は、テーセウスの姿を垣間見、深く愛するようになった。そして彼らがやがて迷宮に入れられ、牛人の餌食になることを聞いていたので、彼が道に迷わぬようダイダロス(中略)の知恵をかりて、麻糸の球と、おそらく剣とを与えた。そしてもし成功したら、自分をアテーナイへ連れていって妻にしてくれと頼んだ。
 テーセウスは、麻糸玉の一つの端を、迷宮の入口の扉に結わえつけ、一行の者たちと共に恐れ気もなく奥へと進んでいった。その一番奥まったところで、彼らは牛人ミーノータウロスに出逢った(中略)。一同は色を失ってひき退がったが、テーセウス一人は決然として進み出、これと格闘してついに殪(たお)してしまった。それから麻糸を辿(たど)って、無事に入口に帰ることができた。


ギリシア神話 下 (新潮文庫 く 6-2)

ギリシア神話 下 (新潮文庫 く 6-2)

*1:クレタ島に同じ

*2:ミノスに同じ

*3:海の王である神

*4:アテネ周辺の地方

*5:アテネに同じ

*6:当時のアテーナイ王

*7:アテーナイ王アイゲウス