ラビュリントイオ・ポトニア(迷宮の女主人)(6)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/45/Myken_M_091024.jpg


迷宮の女主人という言葉が線文字Bで書かれていたのならば、その正体を突き詰めるには、もっと線文字Bの文書を調べればよいのではないか、と思われる人もおられるかもしれません。しかし、この線文字Bというのがどうも、在庫管理とか物品の分配だとか、そういう事務的なことにしか使われていなかったらしいのです。つまり、役人しか使わない特殊な文字だったようです。


しかも、それを長期間保存しようという意識もなかったようです。現在残っている粘土板は、たまたまそこが火災にあったために焼かれて固化したために残った、と推定されるものであって(そしてその火災というのはミュケーナイ時代を終わらせた何らかの動乱によるものと推測されているのですが)、もともとは用件が済めば、また粘土をこねて文字を消してしまい、そこに新しい文字を書く、というふうに使用されていたらしいです。ですから、解読された文書は、読んでいてまったく面白くありません。現代で言えば、買い物したときにもらうレシートのたぐいしか残されていなかった、というふうに私は思います。線文字Bで書かれた文章の例を挙げると次のようなものです。

3つ脚の大鍋 アイケウ型 クレタ製 2個
3つ脚の大鍋 1つの脚の上に1つの取っ手付き 1個
3つ脚の大鍋 クレタ製
脚が焼けている

「線文字Bを解読した男:マイケル・ヴェントリスの生涯」 アンドルー・ロビンソン著 より

線文字Bを解読した男―マイケル・ヴェントリスの生涯

線文字Bを解読した男―マイケル・ヴェントリスの生涯

  • (ところで、この本「線文字Bを解読した男:マイケル・ヴェントリスの生涯」は、今回のシリーズ記事を書くために図書館から借りてきましたが、良書です。ヴェントリスの短い生涯は、歴史にときおり現れるある種の天才の生涯というものであり、とっぴな空想かもしれませんが、コンピュータの基礎理論を作ったアラン・チューリングに似たものを私は感じました。二人ともイギリス流の変人の系譜につながる者のように思います。)


チャドウィックの「ミュケーナイ世界」

ミュケーナイ世界

ミュケーナイ世界

には、次のように書かれています。

 神々を解明しようとして文書に目を向けてみても、私たちの期待は大きく裏切られるばかりである。そこには神学的文書もなければ、讃歌さえなく、また神殿の寄進もなければ、ミノア人がしばしば奉納物に添えたような短い銘文さえ見られない。神々はただ、王宮の行政官たちによって支給(奉納)された物品の受領(嘉納)者として粘土板に登場するだけである。


「ミュケーナイ世界」J.チャドウィック より


というようなわけなので、線文字Bの解読から迷宮の女主人について情報を得ることはほとんど期待できません。となると私の追求の道しるべとなるのは、チャドウィックの

 古典時代のギリシア人がポトニアイ(ポトニアの複数形)の名で思い浮かべたのは、デーメーテールと、その娘であり、冥界の女王となったペルセポネーであった。これはとりもなおさず、ギリシア先住民族地母神崇拝が形を変えて古典時代まで受け継がれたことを示している。


「ミュケーナイ世界」J.チャドウィック より

という記述、そして英語版Wikipediaにあった

カール・ケレーニイはペルセポネーを名前の知られない「迷宮の女主人」(迷宮のポトニア)と同一と考えている。

という記述しかありません。


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Virgo_Hevelius.jpg




デーメーテールとペルセポネーの神話は、私には幼少の頃科学書で読んだ星座の神話としての記憶があります。たしかおとめ座に関する神話で、四季の由来を物語るものでした。ここで、今まで迷宮を扱ってきた重苦しい雰囲気が、迷宮の平面を越えて急に空へ上昇したような気持ちがします。冥界の女王ペルセポネーは、天空の星座おとめ座の女神でもあったわけです。