ラビュリントイオ・ポトニア(迷宮の女主人)(7)
デーメーテールとペルセポネーに関する神話を知るために、まず初めに読むのをお薦めするのは、ホメーロス讃歌の中のデーメーテール讃歌です。これは、岩波文庫の以下の本に収録されています。
四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤 102-6)
- 作者: 逸身喜一郎,片山英男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1985/11/18
- メディア: 文庫
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さて、デーメーテール讃歌は次のように始まります。
まず、尊い女神、髪美しいデーメーテールの歌を始めよう――女神御みずからのことばかりでなく、踵(かかと)の細いその娘神ペルセポネーが、雷鳴轟き眼光遠く及ぶゼウスの許しのもと、ハーデースにより連れ去られた次第も。
冥界の王ハーデースは神々の王ゼウスの兄ですが、正式な妃を得ていませんでした。ゼウスはハーデースの妃としてデーメーテールの娘ペルセポネーがふさわしいと考え、ハーデースがペルセポネーを誘拐するのを黙認したのです。物語はそこから始まります。
黄金の剣を振るい輝く実りをもたらすデーメーテールのもとを離れ、娘神はオーケアノスの懐深い娘たちと、薔薇とサフランと美しい菫(すみれ)の花を摘みながら、柔らかな草原で戯れていた。菖蒲(あやめ)とヒアシンスも、ナルキッソスも摘んでいた。花の容(かんばせ)した娘神を惹きよせようと、ゼウスの企みに従い、多くの客を招く神ハーデースのために大地ガイアが萌え出させたナルキッソスは、ひときわ輝き、不死なる神々であれ死すべき人間であれ、誰の目にも奇蹟とさえ見えるほどだった。一茎の根から百の穂が生えでて、香りはこのうえなく甘く、広い大空も大地も海の潮も一面が悦びの声をあげていた。
娘神は驚嘆して両の手をともに伸ばし、この美しい玩具をつかもうとした。すると道幅広い大地は裂け、不死なる馬を駆りニューサの野へと、多くの名をもつクロノスの御子、多くの客を招く主ハーデースが姿をあらわした。
そして嫌がる娘神を黄金の馬車に乗せて連れ去った。娘神は嘆き悲しみ、大声をあげて至高至上の父神、クロノスの御子ゼウスの名を呼んだ。
サフランの花
やがて、この誘拐は母親神デーメーテールの知るところとなります。デーメーテールは激しい苦痛に胸をとらえられ、髪から美しいかつぎを引き破りました。そして野鳥のように女神は駆けって、陸の上、海の上を、娘をたずねて歩き巡りました。やがて、デーメーテールは太陽の神ヘーリオスから、この誘拐の首謀者がゼウスであること、そして娘を連れ去ったのは冥界の王ハーデースであることを知らされます。それを聞いたデーメーテールは神々の世界から出ていってしまいます。
黒雲まとうクロノスの御子ゼウスに腹をたてた女神は神々の集いやオリュンポスの高みを遠く避け、姿をやつして、人間たちの住む街と豊かな畑を永い間巡り歩いた。男たちも懐深く帯をした女たちも誰ひとり、女神の姿を目にしても、それと気づくことのないままに、ついに女神は香たちこめるエレウシースの地に、その主たる心賢いケレオスの館を訪ねることになった。
エレウシースというのはアテーナイ(アテネ)の近くにある町です。古典期にはアテーナイの支配下にありましたが、この讃歌が生まれた頃には独立していました。エレウシースにはデーメーテールとペルセポネーにまつわる秘儀(神秘劇)が伝わっており、ローマ帝国の時代までその秘儀は存続していました。ただし、その秘儀に参加した人はその内容を口外出来ないことになっており、その秘密は厳重に保たれたために今もその内容は分かっておりません。このデーメーテール讃歌の主な目的がこのエレウシースの秘儀の起源を物語ることでした。さて、ケレオスはエレウシースの王の名前です。
デーメーテールは自分の正体を隠したまま、ケレオスが長年待ち望んでいたのちに誕生した男の子の乳母として働くことになりました。この時デーメーテールは自分の姿を老婆の姿に変えていました。以下はケレオスの妻メタネイラがデーメーテールに語った言葉です。メタネイラは目の前にいる老婆が女神の一人であるとは知りません。
ひとたび我が家においでになったうえは、できることは何なりと、してさしあげましょう。どうか私のこの子を育てて下さい。思いがけなく不死なる神々が、ようやくお授けくださった男の子で、特にかわいがっているのです。
もしこの子を若者となるまで育てあげて下さったなら、女の族(うから)に属する者の誰が見ても羨むほどのたくさんのお礼を、差し上げましょう。」
こうして女神は、心賢いケレオスの輝かしい息子、見事な帯のメタネイラが産んだデーモポーンを広間で育てた。