ラビュリントイオ・ポトニア(迷宮の女主人)(10)

もう私はこのテーマで書くのが苦しくなっているのですが、それでも何かが書けというので、書いています。私が気になった点を書きます。


チャドウィックの「線文字Bの解読 第2版」

線文字Bの解読 (みすずライブラリー)

線文字Bの解読 (みすずライブラリー)

のあとがきは「1967年1月」との注記があり、そこには初版発行後の線文字B解読の発展について述べているのですが、最近、私はその個所を読みました。その個所の一部には(2015年時点でも未解読な)線文字A、つまり、線文字Bより古く、たぶんギリシア語を表してはいない、と言われている文字、の解読の状況についてチャドウィックが論評している個所があります。この個所に、今、私が追求しようとしているポトニアに関する情報がありました。

 線文字Bに関するわれわれの知識をすすめるために、不断の努力をつづけているパーマー教授は、ルヴィア語と線文字Aの関係を証明しようと試みた。宗教的貢納品に記された線文字Aの銘文は、しばしばa-sa-sa-raの語をもち、この語は女神の名前ということになっていた。パーマーは巧みに、それが「女主人」を意味するルヴィア語であると解釈し、こうして線文字BのギリシアPotniaに正確に対応する語とした。

ルヴィア語というのは最近の呼び方ではルウィ語と呼ばれているようです。もう現代では話されていない言語で、古代、今のトルコあたりで話されていた言語です。インド・ヨーロッパ語族アナトリア語派に属し、ヒッタイト語に近いということです。しかしルウィ語については不明な点が多いようです。

これが正しいとしても、それは貴重な示唆ではあるが、一つの動向を示すにすぎない。しかしわれわれのはなはだ限られたルヴィア語の知識にかんがみて、これ以上の進歩は困難である。

とチャドウィックは述べます。さらに、

しかしいっそう重大な反論が、ケープ・タウン大学のモーリス・ポープ教授によって提起された。彼は「ミノアの女神、Asasara―― 一つの死亡記事」(彼のMycenaeans and Minoans (London, 2nd edn., 1965).参照。Bulletin of the Institute of Classical Studies., London, 8 (1961) pp.29-31)と題するおもしろい論文でa-sa-sa-ra-が完全な語であったと信じる理由のないことを証明した。それは接尾辞のない裸形の状態でみられるか、あるいはさまざまな接尾辞をともなって現れるからである。一つの接尾辞についてはいく分あたっているが、これまでのところ、まだ着実な進歩はみられない。

専門的知識がないので、私にはこのポープ教授の批判の意味が理解出来ません。それはともかくこの文章を読んで、この文章が書かれたのが1967年という随分昔なので、もうこのパーマー教授の説は死んでいるものと私は判断しました。


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f5/%CE%98%CE%B5%CE%AC_%CF%84%CF%89%CE%BD_%CE%8C%CF%86%CE%B5%CF%89%CE%BD_6393.JPG
ところが、私は英語版のWikipediaSnake Goddess(蛇の女神)の項目で、このパーマー教授の説が採り上げられているのを、私は見つけました。

この蛇の女神のミノアでの名前はA-sa-sa-raに関係しているかもしれず、それは線文字A文書で見つけられた銘文の可能な解釈である。線文字Aはまだ解読されていないが、パーマーは女神を伴っているように見える銘文a-sa-sa-ra-meを暫定的に、ヒッタイト語で「女主人」を意味するイシャサラ(išhaššara)と関連付けた。


Snake Goddess----Wikipedia英語版より

もし、このパーマーの説がまだ命脈を保っているならば、ポトニアという存在にはさらにその原型となったイシャサラが控えている可能性があります。そしてそれは蛇の女神なのです。