ラビュリントイオ・ポトニア(迷宮の女主人)(11)

前回のエントリで、パーマー教授の、線文字AのA-sa-sa-raと読める単語が女神を表し、ヒッタイト語のイシャサラ(女主人)に近い単語である、そして線文字Aで書かれた言葉はルウィ語である、という説を紹介しましたが、線文字Aはいまだ解読されていません。解読したと主張する人は何名かいるようですが、その解読が広く学会に受け入れられていないようです。私は、サイラス・ゴードン教授の「古代文字の謎」

という一般向けの本を持っているのですが、ゴードン教授はこの本の中で、線文字Aは(ルウィ語ではなく)北西セム語に属する言語だ、と主張しています。私はこの本をおもしろく読みましたし、特に解読した文には「その都市が栄えるために」と書かれていた、というくだりは、この説が本当らしいという印象を私に与えました。私は専門知識がないので、専門家の説を聞くとすぐ信じてしまうのです。この本は古い本で原書は1968年発行なのですが、前回のエントリで紹介したチャドウィックの「線文字Bの解読 第2版」

線文字Bの解読 (みすずライブラリー)

線文字Bの解読 (みすずライブラリー)

の「1967年1月」と副題のある「あとがき」には、すでにこのゴードンの説に対するチャドウィックの反論が記されていました。今回、これを読んで、私にはこれまた「なるほど」と思ってしまうのでした。チャドウィックの反論を紹介します。

 古代近東の他の大言語族はセム語であった。セム語の有名な専門家、マサチューセッツのブランダイス大学のサイラス・ゴードン教授は、線文字Aをセム語と同一であると認めた。ここでもまたそれらしい成果が達成されたが、セム語とも類似はしばしば強くない。というのは、セム語では不変なのは子音にすぎぬからで、それ故にゴードンは、しばしば母音は重要でないとして捨てた。線文字Bから再構成されたという線文字Aの子音構造は、セム語の構造にはよく適合せぬために、曖昧さのもう一つ別の要素が導入され、厳密な照合を妨げている。ミノア人とペリシテ人の類似を申し立てて、言語学上の議論を支持しようとするゴードンの試みは、合理的な考古学的前提から出発しながら、いささか不合理な議論に彼をみちびいている。


ここでも私はすっかり迷宮の中に入り込んでしまいました。


ところで私は以前、このゴードン説を解説した文章をネット上に見つけて、それを和訳してアップしています(「『誰かがいつかミノア語の解読に成功するだろう。』 サイラス H. ゴードン(Cyrus H. Gordon)とミノア線文字A。グレイ A. レンズバーク(Gray A. Rendsburg)著」)。