記憶の森を育てる:茂木健一郎

読んで、茂木健一郎の考えていることを初めて理解出来たような本でした。しかし、彼の目指すところには疑問が多いと私には思えます。


彼は、精神現象は脳の活動に起因するとし(それには私も同意)、そこには物理的な因果法則が貫徹するとします。すると、自由意思というものは本来、存在しないことになります(この点、私は「頭で理解出来ても、心が納得しない」)。このような物理的現象からどうして意識が立ち現れるのか、というのが彼の問題意識のようです(そういえば、この本では「自我」という言葉が登場しなかったような気がするが、それはなぜなんだろう)。
私の意見では、どれほど物理的に「外的な」説明をほどこそうとも、自分が現に何か外界を「知覚し」、自分の考えを「意識している」この状態を(茂木さんが「クオリア」と呼んでいるのはこのことのように思える)、「内的に」説明することは出来ないように思えます。


そして一方では、最近はやりのニューラルネットワークにおける目覚しい(と私には思える)ブレークスルーであるディープラーニングについては、彼はあまり評価しておらず、意識の発生の問題から見れば、ディープラーニングなどはその問題の入口にも達していない、とします。とはいえ、ディープラーニングの危険性を彼は指摘しています。それは、ディープラーニングの能力は人間の脳の能力に比べて極めて「狭い」、柔軟性に欠ける、という点です。極めてアンバランスな能力を示している、という点です。人間よりも高速に動作し、人間よりも多量のデータを処理し、そういう面では人間をはるかに凌駕するディープラーニングが、人間からみれば極めて限られた判断能力しか持たない点が、今後、人類にとって致命的な問題を引き起こす可能性がある、という点を指摘しています。その中には、ディープラーニングが軍事に利用された場合が含まれています。この点、私は私の「お師匠さま」である(と勝手に思っている)ノーバート・ウィーナーの意見に近いので、納得します。