フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(1)

文庫クセジュの「エジプトの神々」

エジプトの神々 (文庫クセジュ)

エジプトの神々 (文庫クセジュ)

は、私にとって大切な本のひとつです。この本では、エジプトの各地をめぐって、その土地土地の神殿、祭式を取り上げ、紹介する、という叙述形式を取っています。それは体系的な叙述であるよりも、旅行記的な叙述になっています。また、説明自体が簡潔すぎて謎めいているところが多々見られ、そのほかに翻訳ミスではないか、と思える箇所もいくつか見受けられます。こう書いていると私がこの本をけなしているように見られてしまうかもしれませんが、私はこの本をとても大切に思っています。


今回、久々にブログに書こうと思ったのは、この本の叙述をたどりながら、私が疑問に思った点にはそれを書き、私が、この叙述には補足が必要と思った箇所にはその補足を入れる、というような、そんな記述が出来たら、と思ってのことです。


では、今から3000年の時を遡り、古代のエジプトを旅してみましょう・・・・・、と、言いながら、それでも、いくつか事前にお話したほうがよい、と思えることに思い当たります。


まず、古代エジプトというのはどの範囲か、ということです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/Egypt_Topography.png

現代のエジプトの領域は上の地図に示す通りですが、古代のエジプトというのは、この中の極狭い地域、つまりそれは、ナイル川の両側の地域を指します。古代において、それ以外の土地はほぼ、人が住めない地域です。いや現代においても、人口のほとんどが、ナイル川ぞいに集中しています。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Egypt_2010_population_density1.png
この図は、エジプトの人口密度を示した図だそうです。
この図からもある程度分かるのですが、古代エジプトは風土的に、2つの地域に分かれていました。1つは、南側に長く続く、ナイル川に沿った、いわば一次元的な世界であり、これを「上エジプト」と呼んでいます。もう1つは、北側の地中海に面した、ナイル川が何本もの支流に分かれ、大きな三角形に広がって土地をうるおしている(いわゆる「ナイル川デルタ地帯」)、二次元的な「下エジプト」です。今から4000年以上も前というとてつもない昔には、これらは別々の国だったそうです。そして、考古学の知見によれば、紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王によって下エジプトは征服され、上下エジプトは1つの国になったということです。しかし、かつて2つの国であったなごりはその後も残り、古代エジプト人は自分の国のことを「タウィ」つまり「二つの国」と呼んでいました。

  • 横道にそれますが、この「ウィ」というのは古代エジプト語で双数形を表す語尾です。古代エジプト語では、名詞は単数形、複数形のほかに双数形という形があったそうです。双数形というのは、そのものが2つある、ということを示す形です。


上エジプトの守護神はハゲタカの女神、ネックベトでした。そして、下エジプトの守護神はウト、こちらはコブラの姿をした女神でした。歴史時代のエジプト王はすでに上下エジプトの王と称していましたが、その冠には、上下エジプトの守護神たちの加護の下に王があることを示すために、ハゲタカとコブラの姿が象られていました。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b1/Baphomet_Thoutankamon.jpg



ツタンカーメン王のマスクのひとつ。額のところにコブラと、ハゲタカの頭部が象られている。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Wedjat_%28Udjat%29_Eye_of_Horus_pendant.jpg






「完全」を意味する「ホルスの目」を左右から守護するネックベトとウト。ネットベトは上エジプトの王冠をかぶり、ウトは下エジプトの王冠をかぶっている。