フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(2)

さて、古代のエジプトが上エジプトと下エジプトに二分されることをお話しました。この本「エジプトの神々」では、上エジプトから神殿の巡礼の旅を始めています。その出発点となるのは「エレファンティネ」というナイル川の中にある島です。

 だから、昔のやり方にならって、エジプトを南から北へと歩きまわってみよう。そして、それぞれの地でおこなわれた祭式がどんなものかをみるとしよう。(中略)
 いわゆるエジプトの南端、ついに水流が花崗岩の障碍をつらぬいて、自由な土地と海への道をきりひらくところ、そこには、当地でおこなわれていた象牙の交易から名をとったエレファンティネという町があった。その町は、瀑布の最北の島によっていて、今日知られるもっとも古い記録にその名がみえる。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より


上に引用した文章のうち、「ついに水流が花崗岩の障碍をつらぬいて、自由な土地と海への道をきりひらくところ」という表現は、要するにここにナイル川の滝があった、ということを表現しています。今は、アスワン・ダムとアスワン・ハイダムの建設によって古代とは随分景観が変わったことと思います。「そこには、当地でおこなわれていた象牙の交易から名をとったエレファンティネという町があった。」  エレファンティネはアスワンの町の近くにあります。ところで、エレファンティネという町の名前は英語のエレファント(象)を連想させ、その名前が古代エジプト語ではない疑いを持たれるかもしれません。その疑いは正しくて、このエレファンティネという名前は、この町をギリシア人たちが呼んだ名前でした。古代において(と言っても紀元前500年ぐらいからの話)ギリシア人があちこちに植民したので、エジプトの固有の町にも、ギリシア語の名前をつけられることが多々ありました。その後、アレクサンドロスによるエジプト征服や、その後のギリシア人によるプトレマイオス朝によって、ギリシア名のほうが後世のヨーロッパに伝えられたのでした。この町の元々の名前、つまり古代エジプト語による名前は、私のブログにコメントを書いて下さった奇特な人によって、私は知ることが出来ました。「アブー」というのが元々の名だそうです。日本語版のWikipediaには載っていないので英語版のWikipediaを見たところ、確かに「アブー」と書いてありました。


「その町は、瀑布の最北の島によっていて」。ひょっとして「瀑布」という言葉がなじみがない人もいるかもしれませんので、一応、説明を入れます。「瀑布」とは滝のことです。

そこで神クヌゥムが祭られていた。その聖獣は牡羊だった。またこの神はつねにこの獣の頭をもって表現される。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/01/Chnum-ihy-isis.jpg



クヌゥム神の画像の例を示します。右側がクヌゥム神です。
クヌゥム神の有名な属性は、ろくろを用いて人間を形作る、という役割でした。


しかし、この本のこの箇所ではそのことについての言及はありません。その代わり、次のような記述があります。

かれは瀑布を司っていて、そのもっとも好む宗教行事の一つは、その名を付した水差しでもって、この地の岩から噴出しているとされた豊饒の水を、かれの前にそそぐことであった。


同上