そろそろ書かなきゃ

4月16日にオートエンコーダの話を書いていて行き詰ってしまい、それがきっかけで書けない日々が続きました。でも、やはり何か書きたいという思いがあるので、オートエンコーダやニューラルネットやそのような話とは全然違ったところで、書き始めたいと思います。
ここ1ヶ月ぐらい何をやっていたかといいますと、岩波文庫プルターク英雄伝(二)の「カミルルス」の伝記を書き写していました。

なぜそんなことをしていたかというと、この本、1952年の出版で、旧漢字旧仮名遣いで読みにくいからです。それにその後プルターク英雄伝の全体の訳は出版されていません。部分訳は少しずつ出ているのですが、今回私が取り上げた「カミルルス」は日本ではマイナーな人物なので、この伝記の新訳は出ていません。
旧漢字旧仮名遣いですとこんな感じです。

フーリウス カミルルスについてはいろいろ偉大な事業が傳へられてゐるが、非常に獨特で並外れてゐると思われるのは、支配的な地位にあつて極めて多數の大成功を収め、ディクタートルに選ばれたことが五度、凱旋式を行つたことが四度、ローマ第二の建設者とまで記録されながら、コーンスルに一度もなつてゐないことである。その原因となつたのはその頃の政治情勢であつて、民衆が元老院と不和であつたためにコーンスルを任命することに反對し、トリブヌース ミーリトゥムを選んで統治者とした。この人々はコーンスルと同じ權力を持つてすべてのことを行なつたが、その支配は定員の數のためにコーンスルほど懀まれなかつた。その定員は二人ではなく6人で政治を掌り、少數政治を不滿とする人々には幾らか慰めになつたのである。


これでは読みづらいので

フリウス・カミルスについてはいろいろ偉大な事業が伝えられているが、非常に独特で並外れていると思われるのは、支配的な地位にあって極めて多数の大成功を収め、ディクタトルに選ばれたことが5度、凱旋式を行ったことが4度、ローマ第2の建設者とまで記録されながら、コンスルに一度もなっていないことである。その原因となったのはその頃の政治情勢であって、民衆が元老院と不和であったためにコンスルを任命することに反対し、トリブヌス・ミリトゥムを選んで統治者とした。この人々はコンスルと同じ権力を持って全てのことを行ったが、その支配は定員の数のためにコンスルほど憎まれなかった。その定員は2人ではなく6人で政治をつかさどり、少数政治を不満とする人々にはいくらか慰めになったのである。

というふうに書き直しているところです。


このように書き直していて、あと少しで完了、というところまで来ました。今の漢字仮名遣いにすると少しはとっつき易くなるのでは、と思っています。
正直な話、岩波文庫の河野訳のプルターク英雄伝はその名前と裏腹に、すごく読みづらく、読んでいて眠くなってしまうものです。素材は良さそうなので、本当は漢字仮名遣いだけでなく文体ももっと臨場感あるものに変えることが出来たら、と思っています。

マルクス・フリウス・カミッルス(ラテン語: Marcus Furius Camillus, 紀元前446年 - 紀元前365年)は、共和政ローマの軍人・政治家。独裁官に5回推薦された。ロムルスに次ぐローマ第二の創建者と謳われる。