聖杯伝説をめぐって(1)
聖杯伝説というのは日本ではまだなじみが薄く私には今ひとつピンとこないですが、どうも気になっていて、最近、YouTubeでワーグナーのパルジファルを見ています。
気になっているからには何かひっかかっていることがあるに違いなく、今の私のもやもやを何とか言葉にすると、北西ヨーロッパ(イギリス、フランス、ドイツの範囲)における宗教意識のひとつの流れがあるようだ、という予感だと思います。騎士団に宗教的な意義を与えているのを特徴のひとつとする意識です。アーサー王と円卓の騎士のようなものでしょうか?
自分のもやもやを探求するために、聖杯伝説をめぐって思いついたことを書いていこうと思います。
最初は、以前もブログに書いた(2010/7/1 中世騎士物語 )カール・グスタフ・ユングの自伝に登場するユングの見た夢の話です。
小康を得てホテルに帰ったとき、特徴的な夢を見たので、ここに述べておきたい。私はイギリス南部の海岸からそう遠くないと思われるある未知の島で、大勢のチューリッヒの友人や知人たちと一緒にいた。その島は小さく、人はほとんど住んでいなかった。島は幅がせまく、南北ほぼ30キロメートルの細長い島である。島の南端の岩だらけの海岸に中世風の城があった。その城の中庭に、われわれは観光の団体として、立っていた。眼前には堂々とした望楼が聳え、その望楼の門を通して広い石の階段が見えた。その階段は円柱のある広間で終っているのがどうにか見えたが、その広間はろうそくの光で薄暗く照らされていた。そこは聖杯の城であり、今夜はここで「聖杯の祭り」があるのだということが私にはわかった。この告知は秘密の性格をもっているように思えた。それというのも、われわれのなかにいる老モムゼンにそっくりのドイツ人の教授がそのことをなんにも知らなかったからである。私はこの人と活発に話したし、しかも彼の学識や知性のきらめきには印象が深かった。ただ一つ私を悩ませたのは、彼がいつも死せる過去のことばかり話し、聖杯伝説のフランス起源に対するイギリスの関係を知ったかぶりをして講釈したことである。彼は明らかに伝説の意味について気付いておらず、その伝説のなお生きている現在にも気付いていなかった。私は、彼とは逆に、この二つの面を強烈に意識していた。彼はまた直接的な現実の環境を知覚していないようであった。というのは彼はまるで講堂で学生に講義しているような態度であった。この状況の特殊さに注意をうながそうと試みたが、無益だった。階段も広間のお祭の光も、彼は見なかった。
「ユング自伝 2」の「IX 旅」より
- 作者: カール・グスタフ・ユング,アニエラ・ヤッフェ,河合隼雄,藤繩昭,出井淑子
- 出版社/メーカー: みすず書房
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まず、「聖杯の祭り」という訳語がありますが、これはおそらく「聖杯の儀式」と訳したほうがよいような原語ではなかったかと推測します。私が思い浮かべるのはつい昨日YouTubeで見たワーグナーのパルジファルの舞台の一場面です。
この動画の最後近く3:48:00以降の光景です。
次に「老モムゼン」についてですが、これはローマ史の大家テオドール・モムゼン(1817-1903)だと思います。
ユングの生きていた時代が1875-1961なので、彼が「老モムゼン」と呼ぶのも理解できます。ところでユングがこの夢を見たのはいつかというと、1938年のことです。
ユングの夢の中でモムゼンそっくりの男性は聖杯伝説を過去のものとして考えているが、ユング自身はそれが現在に実在していると考えている、という対立がこの夢のなかにあります。ユング自身の元型の心理学理論からすればそれはとっぴな話ではありません。
ユングの夢の記述はまだ続きます。