風土記の魅力(2)

風土記の魅力(1)で紹介しました八束水臣津野命(やつかみず・おみずの・の・みこと)という神様は日本書紀にはまったく登場せず、古事記には名前が1回だけ登場する神様です。それはスサノオからオオクニヌシに至る系譜を述べるところで、以下の箇所です。

その櫛名田比売(くしなだひめ)を隠処(くみど)に起して、生みませる神の名は、八島士奴美(やしまじぬみ)の神。また大山津見(おほやまつみ)の神の女(むすめ)名は神大市比売(かむおほちひめ)に娶(あ)ひて生みませる子、大年(おほとし)の神、次に宇迦(うか)の御魂(みたま)。二柱。兄、八島士奴美(やしまじぬみ)の神、大山津見の神の女(むすめ)、名は木(こ)の花知流比売(はなちるひめ)に娶(あ)ひて生みませる子、布波能母遅久奴須奴(ふはのもじくぬすぬ)の神。この神、淤迦美の神の女(むすめ)、名は日河比売(ひかはひめ)に娶(あ)ひて生みませる子、深淵(ふかふち)の水夜礼花(みづやれはな)の神。この神、天(あめ)の都度閇知泥(つどへちね)の神に娶(あ)ひて生みませる子、淤美豆奴(おみづぬ)の神。この神、布怒豆怒(ふのづの)の神の女(むすめ)、名は布帝耳(ふてみみ)の神に娶(あ)ひて生みませる子、天(あめ)の冬衣(ふゆきぬ)の神、この神、刺国大(さしくにおほ)の神の女(むすめ)、名は刺国若比売(さしくにわかひめ)に娶(あ)ひて生みませる子、大国主(おほくにぬし)の神、またの名は大穴牟遅(おほあなむち)の神といひ、またの名は葦原色許男(あしはらしこを)の神といひ、またの名は八千矛(やちほこ)の神といひ、またの名は宇都志国玉(うつしくにたま)の神といひ、并(あ)はせて五つの名あり。


もし出雲国風土記が今に伝わっていなかったら、この神にこんな話があるということは想像が出来なかっただろうと思います。逆に、ここに名前だけ出てくるほかの神々についても実はそれぞれ物語があったのではないか、そして不幸にしてそれらは失われてしまったのではないか、とも思えてきます。


ところで風土記の魅力(1)で紹介した八束水臣津野命(やつかみず・おみずの・の・みこと)の国引きの神話は、風土記の記事としては例外的に長い記事です。普通は、地名の由来を述べるのが目的なので非常に簡潔な記事になります。たとえば、こんな記事です。

朝山(あさやま)の郷(さと)。神魂命(かむむすひ・の・みこと)の御子、真玉著玉之邑日女命(またまつく・たまのむらひめ・の・みこと)、坐(ま)しき。天(あめ)の下(した)造(つく)らしし大神(おほかみ)、大穴持命(おおなもち・のみこと)、娶(あ)ひ給ひて、朝毎に通ひましき。故(かれ)、朝山といふ。


朝山(あさやま)の郷(さと)。ここにカムムスヒのみことの御子であるマタマツク・タマノムラヒメのみことが居られました。そこに、天の下(=地上)をお作りになった大神であるオオナモチのみことが、通い婚されて、毎朝、通っていました。それで、朝山というのです。

これも出雲国風土記の中にある記事です。通常はこういう断片的な記事が多いです。しかし、それらをまとめて並べ替えてみると、ぼんやりと物語が見えてくることもあります。あるいは見えてきそうで見えてこないこともあります。それも風土記の魅力だと思います。