風土記の魅力(3)

例えば、出雲国風土記には次のような記事があります。

屋代の郷(さと)。天(あめ)の下(した)造(つく)らしし大神(おほかみ)の垜(あむづち)立てて射たまひし処なり。故(かれ)、矢代といふ。

  • 屋代の郷(さと)。天の下(=地上)をお作りになった大神(=オオナモチ)が、土の台に的を載せて矢で射られたところです。それで、ヤシロというのです。


「天(あめ)の下(した)造(つく)らしし大神(おほかみ)」というのは出雲風土記ではオオナモチのみことのことを指します。オオナモチというのはオオクニヌシの別名だということです。さて、この記事だけでは何のことなのかよく分かりませんが、以下のような記事が並んでいると、何かが見えてきます。

屋裏(やうち)の郷(さと)。古老の伝えていへらく、天(あめ)の下(した)造(つく)らしし大神(おほかみ)、矢を殖(た)てしめ給ひし処なり。故(かれ)、矢内といふ。

  • 屋裏(やうち)の郷(さと)。古老が伝えて言うには、天の下(=地上)をお作りになった大神(=オオナモチ)が、矢をいっぱい射られたところです。それで、ヤウチというのです。


どうもオオナモチのみことが矢を射る練習をしているようです。何の準備でしょうか?

城名樋(きなび)山。天(あめ)の下(した)造(つく)らしし大神(おほかみ)、大穴持命(おほなもち・の・みこと)、八十神(やそがみ)を伐(う)たむとして城(き)を造りましき。故(かれ)、城名樋(きなび)といふ。

  • 城名樋(きなび)山。天の下(=地上)をお作りになった大神であるオオナモチのみことが、八十神(やそがみ)を征伐しようとしてここに砦をお作りになりました。それで、キナビ(「キ」とは砦のこと)というのです。

八十神(やそがみ)というのは、古事記によればオオナモチの兄弟たちのことです。八十というのは兄弟が八十人(八十「柱」というのが正しいでしょうか)いたというのではなく、人数が多いことを表しています。古事記によれば、最初この兄弟たちはオオナモチをいじめて、コキ使っていたのでした。このような話は出雲国風土記には登場しないのですが、上の記事では八十神を征伐しようというのですから、この話が前提になっているようです。

来次(きすき)の郷(さと)。天(あめ)の下(した)造(つく)らしし大神(おほかみ)の命(みこと)、詔(の)りたまひしく、
「八十神(やそがみ)は青垣山(あをがきやま)の裏(うち)に置かじ」
と詔(の)りたまひて、追い廃(はら)ひたまふ時に、此処(ここ)に迨次(きす)ぎましき。故(かれ)、来次(きすき)といふ。

  • 来次(きすき)の郷(さと)。天の下(=地上)をお作りになった大神であるオオナモチのみことが、
  • 「八十神(やそがみ)は青垣山(あをがきやま=自分の治める国)の中には居らせない」
  • とおっしゃって、追い払いなさる時に、ここで八十神に追いつきました。それで、キスギ(追いつくということを古語でキスグというので)というのです。


オナモチのみことが八十神を自分の国から追出したのでした。このようにいろいろな記事をあれこれつないで推理していくと、ぼんやりと物語が見えてきます。もちろん、そうやって復元された物語が正解かどうかはわかりませんが。