ウィーナーのサイバネティックスの確率論的性格

以前、ウィーナーのサイバネティックス(第2版、1961年出版)

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

を読んだ時に、なぜこの人は確率(あるいは統計)を話のベースにしているのだろうか、と思っていました。たとえば、2008年に私は以下のように書いていました。(「サイバネティックス」という本の「序章」(まとめ) 2008-01-24

私が以前からひっかかっていたのは、ウィーナー自身が

このようにしてわれわれは、通信工学における設計の問題から、統計力学の一分野と見られる一つの統計的な科学をつくりあげることとなった。

というところからサイバネティクス一種の統計力学とみなす考え方でした。これはウィーナー自身がいろいろな箇所で言っている見方なのですが、私にはコンピュータの話のどこが統計力学なのか理解できなかったのです。

しかし、近年ディープラーニングが話題になってくると「なるほど今のAIは統計をベースにおいているわい」と思い当ることが多くなり、私はウィーナーの視線の確かさを実感したのでした。


学習とは、統計的・確率的な過程なのでした。


そしてウィーナーは学習と進化を類似したものととらえていました。彼の言い方では進化とは「種族的な学習」なのでした。

生物組織を特徴づけるものとわれわれが考えている現象に、つぎの二つのものがある。学習する能力と、増殖する能力である。この二つは、一見異なっているようであるが、互いに密接に関連している。学習する動物というのは、過去の環境によって、今までとは異なる存在に変化することができ、したがって、その一生のあいだに、環境に適応できる動物のことである。増殖する動物というのは、少なくとも近似的には、自分自身と同じような別の動物を作り出すことのできる動物のことである。「同じような」といっても完全に同様で、時間がたっても変わらないというわけではないであろうから、もしこのときに生ずる変化が遺伝するものならば、その素材に自然淘汰のはたらきを得ることになる。遺伝によって行動のし方が伝えられるものならば、それらのいろいろな行動の形態の中のあるものは、種の生存のために有利であることが見出されて、固定され、種の生存に不都合な他の行動形態は除去される。こうして、ある種の、種族的、または系統発生的な学習が生じる。この反対が、個体の個体発生的な学習である。種族的、個体的学習はともに、動物が自分自身を環境に適応していく手段である。


ノーバート・ウィーナー「サイバネティックス」の「第9章 学習する機械、増殖する機械」より


ウィーナーのこの視点は、自己組織化という話題にもつながっていくことでしょう。そして、そのベースにあるのは、ウィーナーが終始重視したフィードバック、つまりここでは環境からのフィードバックという機構なのでした。


ウィーナーはこういう発想をたぶんごく幼い頃から持っていたと思います。私がそう思うのは、彼が自伝の中で、すでに4歳の頃にはダーウィンの「種の起源」に親しんでいた、と述べていたことを思い出したからです。ダーウィンの進化論は、上の引用にもあるように、個体間の偶然的な差異、と、適者生存、の2つの要因から進化を説明するものですが、個体間の偶然的な差異というところに確率論が入る余地があると思います。偶然的な変異が環境によって淘汰されることにより、環境により適した個体のみが子孫を残し、それが繰り返されることで進化が実現する、というこの過程を、ウィーナーは統計力学の拡張として取り扱おうとしたのではないか、と思います。