これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。
1 先史時代
1.1 新石器時代
黒曜石の塊
キクラデスでの人間の活動の(しかし必ずしも居住ではない)最も古い痕跡は、島自体からではなく大陸で、アルゴリス地方のフランチティ洞窟で発見された。そこでの調査によって、紀元前第11千年紀に遡る層から、ミロス島に由来する黒曜石[5]が発見された。この火山島はこのように利用され、そこに人が住んでいたが、必ずしも永続的ではなく、その住民は少なくとも150kmの距離を航行し交易することが出来た。
島への永続的な移住は、少数の肥沃な平原を利用できる農業と畜産の処分方法を持っていた定住人口によってのみ確立することができた。狩猟採集者ではもっと困難であっただろう [5]。キトノスのマルーラ遺跡では骨のかけらが発見され、それらは炭素14を使った測定ではBC7,500〜6,500年に遡る[6]。 最古の居住地は、パロスとアンティパロスの間にあるサリアンゴ島 [5] [7]とケア島のケファラであり、そしておそらく最古の地層はナクソス島のグロッタにある地層である。それらはBC5千年期に遡る。
(当時、その隣のパロス島とアンティパロス島につながっていた)サリアンゴ島には、モルタルのない石の家がキクラデスの石像とともに発見された。ケファラの墓地の発掘調査に基づく見積もりでは、住民の数は45から80である[5]。頭蓋骨の研究は、特に脊椎骨の変形を明らかにした。彼らは関節炎の状態に起因しており、それは定住社会を苦しめた。定住生活様式のもう一つの徴候である骨粗鬆症は存在するが、同じ時代の大陸よりもずっとまれにしか存在しない。平均寿命は20歳で、最高齢で28歳から30歳に達したと推定された。女性は男性より短命の傾向があった[8]。
墓の復元
性別による分業が存在したようである。女性は子供の世話をし、収穫し、「軽い」農事をこなし、「小さな」家畜の世話をし、糸をつむぎ(女性の墓で紡錘体が発見されている)、かごを編み、陶器を作った[8]。男性は「男性的」な雑用に忙しかった。より本格的な農業労働、狩猟、釣り、そして石、骨、木材、金属を伴う作業などである[8]。この性別による分業は、最初の社会的差別化をもたらした。墓地で発見さえたなかで最も裕福な墓は、男性に属するものであった[8]。手で作られた粘土の球から判断するに、陶器はろくろなしで作られた。ブラシを用いて陶器に絵を描き、掘り込みは爪で作られた。次に陶器は穴や砥石車で焼いた。窯は使用されず、700〜800℃の低温にしか達しなかった[9]。小型の金属物体がナクソス島で発見された。シフノスの銀鉱山の操業もこの時期まで遡る可能性がある[5]。