デカルト

デカルト (岩波新書)

デカルト (岩波新書)

小さな本であり、古い本(1966年初版)でありながら要所を押さえたデカルトについての解説書です。
私はこの本を買った頃はフランセス・イェーツの「薔薇十字の覚醒」に魅せられた状態でしたので、デカルト薔薇十字団の関係を知りたい、と思っていました。もうひとつは、このように変なところからデカルトへの私の関心が始まってしまったので、正統的なデカルト像を把握したいという動機もありました。
この本「デカルト」は正統的な紹介であり、薔薇十字団というようなオカルト的な事柄には深入りはしませんが、それでもそれに関する記述があります。そしてこれは要所を押さえている、と私には思えます。

デカルトの時代はまだ多くの神秘主義的団体を生んだ時代であったことが注目されます。ことにドイツは、前の十六世紀の宗教戦争の後、またこの十七世紀に、他の国々が近世国家としての統一を進めつつあるときにふたたび宗教戦争の渦中に入ったのであって、人心は怪異にひかれ予言を求めていました。そうして生まれた神秘主義的団体つまり新興宗教の一つに、バラ十字会というものがあり、一種の霊知によって世界を新たにすることを標榜した秘密結社でありました。デカルトは興味をもち会員をつきとめ会の教えを知ろうとつとめたが果たさなかったと友人に言っている。しかし相当立ち入った交渉があったらしい。(太字にしたのはCUSCUS) かれがウルムで交わった一数学者はその会員であったと言います。しかも近頃の調べでは、デカルトの夢の中に出て来る象徴が大部分バラ十字会に関係あるものだということであります。こういう背景、こういう経験をきりぬけるところにかれの知的作業があったのであります。想像力乏しく、きまったことをきまった形でのみ考えるのが理性人ではない。世界の中にも自己の中にも渦を巻く手ごわい力をみずからの自由に服せしめるのが本当の理性人なのであります。

私がデカルト薔薇十字との近さを感じたものは以下の記述に出てくる「知恵の木」という図式です。その汎知的なところが近さを感じさせます。

・・・そこでは、哲学をphilosophiaの字義通りに「知恵の探求」であるとのべた後、その「知恵」を一本の木にたとえています。(もちろん旧約創世記の知恵の木が連想されていることと思います。)そしてその木の根は「形而上学」であり、その幹は「自然学」である、という。さらに知恵の実が結ぶのは枝においてであるが、枝は三本あり、一は「機械学」、二は「医学」、三は「道徳」である、という。そしてこの「道徳」は、すべての認識によって支えられた最も完全な道徳である、と注意しています。

哲学者の著作の中で私はデカルトプラトンは、読者をうまく引き込む作家のワザがあるように思います。そしてデカルトの著作は、それを読めば明晰であり、なんとなく分かったような気にさせてくれます。しかしあとで、そこで扱っている問題の深さに気づかされます。