「生」と「死」のウィーン

これはハプスブルク家が主題の本ではなく、ウィーンの近現代芸術思潮を述べたものですが、ウィーンということでハプスブルク家の話題がかなり出てきます。1989年に行われたハプスブルク家最後の皇后ツィタの葬式(そんな近年まで生きていた、ということにビックリしました。)、ハプスブルク家の菩提所カプツィーナ教会、皇太子ルドルフの心中事件、が登場します。私にとってのこの本の価値は、皇后ツィタの葬式の様子、特に、遺体を安置するために歴代の皇帝と皇后が眠るカプツィーナ教会に入場する、以下の場面が記録されていることにあります。

 セレモニーをとりしきるドクター・ハフナーは銀のつかで、硬く閉ざされた鉄門をたたく。すると中からは、厳かに尋ねる声がする。「入場を求むる汝の名は」。その問いに答えて、故皇后の称号が延々と述べられた。
ベーメンダルマチアクロアチアスロベニア・ロドメニア・イリリア・エルサレム女王。オーストリアトスカーナ・クラカウ・ジーベンブルゲン大公妃。ロートリンゲンザルツブルク・シュタイヤー・ケルンテン・クライン・ブコビナ伯爵夫人。メーレン辺境伯夫人。上および下シュレージエン・モデナ・パルマピアチェンツァ・グアスタラ・アウシュビッツとズァトア・テッシェン・フリアル・ラグーサ・ツァラ大公妃。ハプスブルグ・チロル・キーブルク・ゴッツ・グラディスカ・トリエント・ブリクセン・上および下ラウジッツ・ストリアン・ホーエンエムス・フェルトキルヒ・ブレゲンツ・ゾネンベルク伯爵夫人。トリエステ・カタロ・ウィンディッシェンマルク・セルビア・ブルボン王朝パルマ王女。貴族星十字勲章教団・エリザベス教団・ブルン地方マリアシュール自由世界貴族尼修道院インスブルック貴族尼修道院インスブルック貴族尼修道院会長。帝国第十六大隊軽騎兵部隊隊長。etc」
 それに対する門の向こう側の越えは、ただ一言、
「我らはその者を知らぬ」。そしてまた門を叩く音に再び。
「入場を求むる汝の名は」と同じ質問。今度は、
皇后陛下ツィタであります」と。またしても門の向こう側からはただ、
「我らはその者を知らぬ」という声のみ。そして三度目の試みがなされる。
「入場を求むる汝の名は」。その問いに一言、
「死せる罪深き民、ツィタであります」。
 この言葉をもって初めて、固く閉ざされていたカプツィーナ教会の鉄門がおもむろに開かれるのである。

この儀式はこれが最後であり、今後はハプスブルク家の者といえどもここに葬られることはないそうです。