ライプニッツと薔薇十字

フランセス・イエイツの「薔薇十字の覚醒」

薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史

薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史

には、ライプニッツ薔薇十字の関係について以下のように書かれています。

 このように、不可視の、空想的な薔薇十字団が、現実的な何かに翻訳されたとき、それは「キリスト教協会」、つまり夜明けをむかえた科学に、新しいキリスト教的慈悲を吹きこむ試みとなるのだ。
 「協会」の会員については、それに関する他の多くの点と同様、あまりよくはわからない。アンドレーエの古くからの友人トビアス・アダミとウィルヘルム・ウェンゼがそこで活動していた。そしてヨハネス・ケプラーアンドレーエのキリスト教同盟に興味を抱いていたという噂もある。アンドレーエはチュービンゲンでケプラーの師、メストリンの下で数学を学んでおり、確実にケプラーを知っていた。
 「キリスト教協会」は戦争勃発とともにあのような悲惨な結果をむかえてしまったが、そのかわりに継承者や分派をうみだしている。アンドレーエは1628年頃、ニュールンベルクでそれを再出発させようと試みた。
 ライプニッツが後年、薔薇十字思想と接触するようになったのも、この分派の継続的活動がきっかけであったらしい。ライプニッツは1666年にニュールンベルクで薔薇十字協会に加入したという執拗な噂があるし、ライプニッツは薔薇十字の友愛団が虚構であることを、「ヘルモント」(おそらくフランシスクス・メルクリウス・ファン・ヘルモントのことだろう)から聞かされて知っていた、というより信頼のおける情報もある。それが「冗談」とわかったとしても、ライプニッツがその冗談の背後にある思想の一部を吸収するのを思いとどまることはなかっただろう。そして、実際彼はまちがいなくそれを吸収しているのだ。
 わたしが別のところで指摘しておいたように、ライプニッツの提案している慈悲の結社の規則は、事実上『名声(ファーマ)』の引用といっていいのである。窮極的にアンドレーエの運動に端を発する思想のライプニッツに及ぼした影響をさらに詳しく研究するつもりなら、その研究材料はライプニッツの著作中に枚挙にいとまがないほど見つかる。・・・・

これとおそらく関係があるのは(誰かがすでに指摘していると思いますが)ライプニッツの庇護者の一人がヴェルフェン家でハノーファー公のエルンスト・アウグストであったことです。その妃は(イエイツによれば薔薇十字運動の庇護者であった)ファルツ選帝侯フリードリッヒ5世の娘ゾフィーです。フリードリッヒ5世のもう一人の娘エリザベスは、デカルトの弟子でした。