古代エジプト人

古代エジプト人 20 (教養選書 20)

古代エジプト人 20 (教養選書 20)

これは矢島文夫さんの「古代エジプトの物語」と並んで、若かった私を古代エジプトへのタイムトラベルに連れてってくれた本です。第2章の冒頭で著者はこんな意図を述べます。

 私のねらいは、古代エジプト人の日常生活にできるだけ近くせまるということにある。(中略)これらの事柄をいかにしたら最もよく取り扱うことができるかについて思いめぐらしていたとき、偶然に私は一枚の船の絵に出あった。(中略)
 この船は、私にある考えを起こさせた。(中略)州を定期的に巡歴することが、高官の義務のひとつであった。われわれが、これらの高官の一人の船に乗ってエジプトを旅していると想像してみよう。時代はトトメス三世の治世の第十八王朝(紀元前一五五五−一三五○)である。われわれは大臣レクミレの船に乗って旅をしている。この男は実在した人物である。彼の墓はテーベで見られる最も興味ふかいものの一つである。

    • (絵がネットで見つからなかったので、この画像で代用しました。)

こうして、一枚の絵が現実になり、古代の情景がよみがえります。

 右手にはるか遠く、高い褐色の岡に、朝の青空に映えて金色にピラミッドがたっている。最初のアブロアシュのデデフレのピラミッド、ついで、よく知られているトリオ、われわれがギザ・グループとして知っているもの、ケオプス(CUSCUS注:クフ)のピラミッド、ケフレン(CUSCUS注:カフラー)のピラミッド、ミケリノス(CUSCUS注:メンカフラー)の小ピラミッドがある。われわれが扱っている時代、すなわちトトメス三世の時代は、現在からみて三千年以上も前である。しかし、船から眺めるレクミレにとって、ピラミッドはすでに古代の建造物なのである。ケオプスは、レクミレの生まれた時代よりも千五百年以上も以前に死んでいる。

時間の遠近法が変わります。私たちにとって、ピラミッドもこの本の主人公レクミレもともに古代エジプトという時代に属するのですが、レクミレにとってのピラミッドは、私たちにとっての紫式部よりも遠いのです。
場面は変わって帰宅したレクミレが家でパーティーを開いています。

 レクミレはアメネブハブ将軍にむかって、彼の最近の旅行について語っている。若いケナメンは、父のそばに坐り、一語をも聞きもらすまいと聞きいっている。
「私はアシウトでメリレに話をしました」と大臣はいう。「彼らはまたしても、リビア人と紛争をおこしているのです。十二ヶ月のあいだに三度目の襲撃をうけたのです。」
「もちろん、私もそのことを聞きました」と将軍は答える。(中略)
「・・・私はまた他の報告を守備隊司令官から受けました。」
「ペウエロですか?」と大臣は眉をあげていう。「彼をどう思いますか?」
「たいして評価しません。」
「知事もそうです。」

この本は小説ではないので、劇的な話が起こるわけではないのですが、日常が、不思議な現実感をかもしだしています。レクミレの息子ケナメンは戦車隊将校のメランコリックなセンムトに憧れ、センムトはレクミレの長女ノフレトに恋し、ノフレトはセンムトを無視する。ケナメンの弟ペルホルは学校に行き、文字の書き方を習う、などなど。最後の「第15章 事実とフィクション」では、それまでの記述のどこまでが事実でどこからが著者のフィクションなのかを種明かししています。
私の非常に好きな本のひとつです。