数学を社会現象に適用する際のウィーナーの警告

数学を用いてファブ内物流の最適化を検討する私のささやかな趣味に対して、私の好きなウィーナーが警告を発しているような気持ちがずっとしてきました。彼はサイバネティックスを発表した時に、その本の中でこのようなことを書いています。

私の友人のうちのある人々は、この本の中に何か社会への効能をもった新しい考えかたがあるかもしれないと、大きな期待をもっているようである。しかしこれは誤っていると私には思われるのである。私の友人たちは、われわれが社会的環境を理解し、それを制御し得るよりもはるかにまさって、物質的環境を制御し得るようになったことを確信している。したがって差しあたっての課題は、自然科学の方法を人類学・社会学・経済学の方面に拡張することであり、そうすれば社会的な領域でも、同程度の成功を収めることができるであろうと彼らは考えるのである。それが必要であると考えるあまり、彼らはそれが可能であると信じている。これはあまり楽観的にすぎ、また科学の成果の本質の誤解によるものと思う。
 精密科学におけるすべての偉大な成功は、現象が観察者からある程度以上に離れている分野で得られたのである。
(中略)
 観察者と観測される現象との結合を最小にすることが最も困難になるのは社会科学においてである。観察者の側からいえば、社会科学における観察者は彼の注意をひく現象に大きな影響を与えることができる。

Factory Physicsのような工場オペレーションの科学を社会科学というのはちょっと違うかもしれませんが、大きな意味では社会科学でしょう。そこで待ち行列理論のような確率的な理論を駆使して工場物流におけるいろいろな量に関する関係を導き出したとしても、もともとの量、たとえば平均WIPとか平均スループットとかが、とらえどころのない量なのではないか、という心配が私にはあります。そもそも工場で起きる現象が市場と連動している限り、そこに定常状態といえるものは存在しないのではないか、と思うのです。ウィーナーは上記の本でこうも書いています。

 他方、社会科学者は、その研究する問題を時間にも場所にも無関係な立場から冷静に見下ろすことのできる利点をもたない。
(中略)
 いいかえれば、社会科学ではわれわれは短い期間の統計を取り扱わねばならないし、
(中略)
要するにわれわれが自然科学でいつも得られるものと比較しうるほど確実で意味のある情報は得られないのである。

このような限界については、いつも意識していなければならないと思いました。