「サイバネティックス」という本の「序章」(4)

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序章の引用を続けます。

この時期に、サイバネティックスの歴史に繰り返しあらわれる論理数学の影響がはいっている。科学史の中からサイバネティックス守護聖人をえらぶとすれば、それはライプニッツであろう。ライプニッツの哲学の中心は、普遍的記号法と推理の計算法の密接に関連した二つの概念である。

「この時期」というのは1942年のようです。論理数学の影響というのが曲者です。後の文面から分かるようにこれは要するにデジタルな思考法がこの時期から自分たちの研究に入ってきたという意味ですが、すでに時系列理論フィードバック理論、という2つの異質な主題が出てきて、私がそれを何とかひと括りにしようとして悪戦しているところに、今度は論理数学というこれまた異質なものが入ってきました。こうなると私は何を以って「サイバネティクス」の本質、核心、と言っていいのか分からなくなります。
この「論理数学の影響」についてもう一つ疑念を持つのは、ウィーナー自身は「文章として書いたもの」ではデジタルな方向にも思索を広げていますが、「数式で書いたもの」ではそちらへは進まず、最後まで時系列理論の道を進んでいったことです。提唱していることとやっていることが違うのではないか、と、思ってしまいます。つまり、こういうことです。


この時期からコンピュータの建設がアメリカで始まりますが、ウィーナーはそこには参加していません。しかし、この本「サイバネティックス」では自分がいかにそのそばにいたか、を強調しています。「サイバネティックス」が発行された1948年当時は、多くの読者がきっと、サイバネティックスはコンピュータの誕生をその成果として含むような新しい科学なのだ、と理解したことだろうと私は想像します。上で述べたサイバネティクス情報科学という解釈においては、それは正しい理解です。それまで「情報」がそれほど重要であることを、そしてそれが科学の大きなひとつの分野になることを指摘した人はたぶんいなかったのですから。しかし、サイバネティクス=ウィーナーの業績」と理解すると、それは違う、と思うのです。極言すれば、ウィーナーの業績からはコンピュータは出てこない、と思うのです。つまり、コンピュータの誕生およびその発展に寄与した主な理論は、チューリングチューリング・マシン、シャノンの電気回路で論理演算が可能であることを示した理論(Claude Shannon, "A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits", Massachusetts Institute of Technology, Dept. of Electrical Engineering, 1940.)および情報量の理論(Claude Shannon, "A Mathematical Theory of Communication", Bell System Technical Journal, vol. 27, pp. 379--423 and 623--656, 1948.)、フォン・ノイマンオートマトン理論、であって、ウィーナーの時系列理論とフィードバック理論は副次的な役割しか、はたしていないと私は見ています。では、ウィーナーの業績は切って捨ててしまってよいか、と言えば、彼が「数式ではなく文章で書いてあること」は今日でもなかなか含蓄が深く、そこが私がウィーナーに魅かれる主要な部分です。私はウィーナーについてはそんなアンヴィバレンツな思いを持っています。彼はもともとハーバード大学で哲学を専攻していたのでした。


今日は結論を急ぎすぎました。「序章」の文章に沿って、思考を進めていきます。まず、コンピュータの誕生に関してです。

シャノン博士は古典的なブール代数を、電気工学における継電器回路に応用する研究によって、マサチューセッツ工科大学で博士号を得た。テューリング(Turing)は計算機が論理的にどんなことができるかをおそらく一番最初に、知的実験として研究した人であるが・・・・

と理論の流れの概要を描いています。

そのころ(1943年?)、計算機を作ることは・・・・戦争遂行に必須のものであることがわかってきたので、私の以前の勧告書が示唆したものとあまりちがわない線に沿って、方々でその建造がすすめられていた。ハーバード大学アバディーン試射場(Aderdeen Proving Ground)、ペンシルヴェニア大学ではすでに計算機を建造中であったし、プリンストンの高級学術研究所とマサチューセッツ工科大学でも、まもなくこの方面の研究をすることになっていた。

「あまりちがわない線に沿って」というのは、ウィーナーが影響を与えた、というのとは意味が違います。

これらの分野に興味をもっている人々のあいだには絶えず往き来があった。われわれはわれわれの考えを同僚、特にハーバード大学エイケン(Aiken)博士、高級学術研究所のノイマン(J. von Neumann)博士、ペンシルヴェニア大学のEniacとEvdacをつくったゴールドシュタイン(Goldstine)博士らに伝える機会をもった。いたるところでわれわれは理解ある態度で受け入れられ、技術者の語彙はまもなく神経生理学者や心理学者の術語と混合していった。

「いたるところでわれわれは理解ある態度で受け入れられ」とはありますが、これも彼らがコンピュータ建設の主体的なグループではなかったことを示している言葉でしょう。要するにコンピュータ建設グループは元もとのウィーナー・グループとは別個の存在だったのです。
さて次に、この両グループが合流していった様子が描かれています。

フォン=ノイマン博士と私とは、われわれが今日サイバネティックスと呼んでいる分野に興味をもつ人全部を呼び集めて、連合の会合を開くことが望ましいと思った。1943年から1944年にかけての冬、プリンストンでその会合が開かれ、技術者、生理学者、数学者をそれぞれ代表する人々がみな出席した。

「サイバネティックス」という本の「序章」(5)」に続きます。