「サイバネティックス」という本の「序章」(6)

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序章で次に出てくる話題はパターン認識です。しかし時代が古いせいか「パターン認識」という言葉は出てこず、ゲシュタルトあるいは普遍的概念という言葉でそれが表されています。

ゲシュタルトの知覚の問題、あるいは普遍的概念(universals)の知覚形成の問題・・・。われわれが正方形を見て、その位置や寸法や向きにとらわれずに正方形であると認識する機構は何であろうか?

 1947年春、マッカロ博士とピッツ氏は、サイバネティックスの立場から相当重要な価値をもつ研究をなしとげた。マッカロ博士には盲人が本の印刷した頁を耳で読める装置を設計する問題が与えられていた。光電管を使って活字ごとに変った音を発生させるのは古い話であるが、いろいろな方法で実現することができる。その難しい点は文字の形が与えられたとき、その大きさに関係なく実質的に同一の音を発生することにある。これは大きさや向きがいろいろに変っても正方形は正方形と認識する、形態すなわちゲシュタルト知覚の問題と明らかに類似したものである。マッカロ博士の装置はいろいろな大きさの活字でも選択、解読しうるものであった。このような選択読字は走査法によって自動的になしうるものである。・・・・・選択読字を行う装置の図面はフォン=ボーニン博士の注目を惹き、博士はそれを見たとき直ちに次のような質問をした。”これは大脳の視領域の第四層の図面ですか?” この質問から思いついてマッカロ博士はピッツ氏の助力を得て視領域の解剖学と生理学を結びつける理論を展開したのであるが、・・・・

この話は詳しくは「第6章 ゲシュタルトと普遍的概念 」で記述されていますが、そこの記述からするとマッカロの装置は初歩的な装置です。第6章の主題は、ニューラルネットパターン認識が出来る可能性がある、ということにあるようです。ここにも情報という概念を用いて機械と生物の間の平行関係を捉える思考法が現れています。しかし、私はパターン認識に関しては素人です。現在のパターン認識技術がどのようなものであり、それが生物におけるパターン認識とどの程度類似しているかどうか、そもそも生物におけるパターン認識が現在どの程度明らかになっているのか、分かりません。それゆえ、この機械と生物の間のアナロジーが現代までのパターン認識技術の発展にどの程度寄与したのか判断出来ません。
さて、パターン認識のアイディアは、機械によって人体の機能の一部を代行する、というアイディアに進みます。

私がサイバネティックス的な考えかたによって、実際に役に立つようなことをやってみたいと思う分野が他にも二つあるが、その希望も今後の進歩をまたなければならない。そのうちの一つは、失くなった手足、あるいは麻痺した手足の補綴術である。

補綴(ほてん)術という言葉は今日あまり聞かれない言葉ですが、義手、義足などの技術のことです。

  • ところで上記引用箇所で「やってみたいと思う分野が他にも二つあるが」と書き「そのうちの一つは」としてこの補綴術を挙げていますが、もう一つが何であるのか、この本には記述されていません。気になっているのでここに書きました。

そして、補綴術のアイディアはもっと進んで、元来人間が持っていない機能を機械によって人体に付与する、というアイディアになります。以下は、1964年のウィーナーの著作「God and Golem」(邦題は「科学と神」 実は私はこの題名が好きではありません)

科学と神―サイバネティックスと宗教 (1965年)

科学と神―サイバネティックスと宗教 (1965年)

からの引用です。

 こうして補綴工学という新しい分野が開ける。それには人間部分と機械部分との両方を含む混成的性質の系の製作が含まれる。しかし、この型の工学はわれわれが失った身体部分の代行のみに限られる必要はない。われわれが今日もっていない器官や、いまだかつてもったことのない器官の補綴もある。

  • 私はサイボーグという概念の起源はここにあるのではないか、と思っています。(サイボーグ (cyborg) とは、サイバネティック・オーガニズム (Cybernetic Organism) の略) しかしWikipediaを見ると
    • アメリカ合衆国の医学者、マンフレッド・クラインズとネイザン・S・クラインらが1960年に提唱した概念。当初は人類の宇宙進出と結び付けて考案された物である。又、この提唱よりも前にSF小説でこのアイディアは使用されていた。
  • とあるので、私の推測は違っているかもしれません。

「サイバネティックス」という本の「序章」(7)」に続きます。