帝都ウィーンと列国会議--会議は踊る、されど進まず
帝都ウィーンと列国会議―会議は踊る、されど進まず (講談社学術文庫)
- 作者: 幅健志
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2000/02
- メディア: 文庫
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タイトルだけ見ると硬い本のように思われますが、ウィーン会議(1814年)に集まったヨーロッパ王侯貴族のバカ騒ぎの様子がよく書き込まれていて、なかなかおもしろい本です。トリビアがいっぱいで、私の大好きな本のひとつです。ウィンナー・ワルツの曲を聴き、お酒を飲みながら(安い酒で可)読むと、とてもよい気分に浸れます。
1814年秋、オーストリアの帝都において世紀の談合、世にいう「ウィーン会議」が始まった。自国の存亡を賭した熾烈な駆け引きが展開される一方で王侯達の恋愛遊戯が横行し、匿名諜報員が暗躍する。オーストリア内務省に残る秘密警察の文書を駆使し、「会議は踊る・・・・・」と評された饗宴外交の顛末とウィーンの狂騒振りを軽妙なタッチで活写した意欲作。
表紙カバーより
ナポレオンがエルバ島に島流しにされたあと、彼によって引っ掻き回されたヨーロッパを元に戻そうというのがウィーン会議の趣旨なのですが、そこに各国の利害関係が複雑に絡み、王侯達の見得の張り方も格式の網の目に複雑な形を示し、さらにはそこに血縁関係の網の目も絡みます。
たとえば、半ばナポレオンに脅迫されて妻(フランス皇妃)になったハプスブルク家のお姫様マリー・ルイーズについて
列国の手前、ハープスブルク家の当主*1は、娘*2を公式行事には参加させなかったものの、シェーンブルン宮の一隅に押し込めて置いたわけではない。さすがにタレイラン*3だけは筋を通し足を向けなかったが、たいていの貴顕らは先を争うようにシェーンブルン宮へと馬車を走らせる。すくすくと成長した童子*4が無邪気に遊ぶさまを眺めながら、一同は感嘆と不安のため息を禁じ得ない。バイエルン王*5は少年の目付が父親*6に似ていたとかで、そのショックはひどいものだった。・・・・・
「帝都ウィーンと列国会議」より
かつて世界史を習った時には、フランス外相タレイランとかオーストリア宰相メッテルニヒとかいう人は、政界を易々と泳ぎ回る緻密で陰険な策士だとばかり思っていましたが、以下の文章では意外な面を見せます。
タレイラン氏はカッスルレー*7邸での接客の流儀に腹を立てている風に見受けられた。氏はパルフィ伯とのトランプで数千グルデン勝った。メッテルニヒとはみれば、いつものあっぱれな習慣どおり御婦人方を口説いていた。
「会議は踊る、されど進まず」という名言をものしたド・リーニュ候も登場します。老候はウィーン会議が終らないうちに老衰で死んでしまいますが、ラ・ガルド伯によれば死ぬ数日前、伯にこんなことを言っていたといいます。
たまたま芝居のはねたあと、伯爵*8は真っ白いマントをはおった老候が、市壁のところにひとりただずむのを目撃する。夜もふけていたので、かれはかの「紅色」の家*9まで送らせてもらったのだが、道すがら御老体はのたもうたという。「ネエ、君、恋の妙味は始まりにつきる、だから私はくりかえしくりかえしおっぱじめるわけだ。君の年頃には相手を待たせた、この年になると相手に待たされる、いや悪くすると待ちぼうけじゃな」
「帝都ウィーンと列国会議」より
つまり老候が待ちぼうけを喰らったところにラ・ガルド伯が出くわしたということです。
あるいはロシア皇帝アレクサンドル、おん年38歳の場合
アレクサンドルは(ウィーン)入洛後ほどなくして、ウィーン美女名鑑をものし大評判をとった。・・・・美人名鑑の筆頭に挙げられているアウエルスペルク侯爵未亡人に、ロシア皇帝は参ってしまい、人目も憚らずあとを付けまわす。この婦人、爆破すべき橋をフランス軍の詭計で奪われた将軍の姪だった。アレクサンドルは三帝会戦の敗北の責任を老候になすりつけて来たが、美しい姪御の現れるに及び、かれに厚情をもって接したという。
ロシア皇帝はウィーン女性に大いにもてているつもりだったが、彼女らは引き際を心得ており、皇帝の誘惑にも「陛下はいつもの御病気をお出しだ」と軽くかわす余裕をみせ、・・・・・・
「帝都ウィーンと列国会議」より
むろん当時の政治情勢の話もたっぷりありますが、上記のような話も満載です。私はまだウィーンに行ったことはないのですが、もし行く機会があるのなら、きっと持参していくだろう本です。