丸郎(マルロー)さん

マルローさん」の補足です。下の本を図書館で借りてきました。この本によれば、伊勢の出来事があったのは1974年5月29日のことだそうです。

 アンドレ・マルローの変容であった。ほとんど憑依に近いような。東宮御所で見た、あの顔面の痙攣こそ起らなかったが。天才にしか見られない、この精神の超高燃焼なくしては、あのような超人的行動も創造もありえまいと思われるような、いわば秘密原子炉の灼熱光を見た思いであった。
 すさまじいばかりの思想の火山弾がそこから噴きあげられ、高速の言葉となって渦巻き、落下し、私の乏しい理解力をメルトダウンしていった。首はうなだれ、肩はかしぎ、熱病患者さながらにわなわなと顫えながら、譫言(うわごと)のように語り、語り、語って、ぐいぐいと私を左へ左へと押してくるのだった。五十鈴川のほうへと。
 もはや、私のフランス語ではついていけなかった。やはり、録音機を持ってくるべきだったろうか? そして我が悔いは、後代にたいして、とりかえしのつかないものとして残ったことだろう----もし、たったひとこと、つぎの言葉をとらええなかったとするならば。
 「伊勢とアインシュタインの相対論的宇宙とは収斂する・・・・・・・・」と。
 この瞬間、マルローは、啓示を得たことであったろう。滝*1につぐ、第二の、より決定的な啓示を。
 と同時に、生涯に対する解を。
 帰国後出版される二著のなかに、くっきりとその陰影は刻されるのである。


 ふと、そのとき、どこからともなく一羽の大きな黒揚羽蝶(くろあげはちょう)が現れた。見たこともない見事な蝶で、ひらひらと舞いながらマルローの身にまつわりつき、足元に止まった。・・・・
「マルローとの対話」竹本忠雄著より


きっかけとなったのはマルローが松の枝を、それは参道の上をほとんど真横に伸びていたのですが、それを見たことだったのですが、そこに彼は何を見出したのか知りたいところです。この本は挑みかかってくるところがあって、この本のために私は昨夜うなされました。