幻の竹のみやこ、斎宮

正月なので、正月らしい伊勢ネタを1つ。
伊勢の西北西12kmのところに近鉄斎宮(さいくう)という駅があります。

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急行は止まらない小さな駅です。しかし古代から南北朝にかけてはここは国家的に重要な場所でした。ここには斎宮があったのです。では、斎宮とはそもそも何ぞや、と言いますと

斎宮(さいぐう、さいくうまたはいつきのみや、いわいのみや)は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所。平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指すようになった。伊勢斎王、伊勢斎宮とも称する。

Wikipedia「斎宮」より

では斎王とは?

斎王(さいおう、いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)。厳密には内親王なら「斎内親王」、女王の場合は「斎王」「斎女王」と称したが、一般に両者をまとめて斎王と呼ぶ。伊勢神宮の斎王を斎宮賀茂神社の斎王を斎院とも称し、斎宮は古代(天武朝)から南北朝時代まで、斎院は平安時代から鎌倉時代まで継続した。


Wikipedia「斎王」より

Wikipediaには書かれていませんが斎宮は別名「竹のみやこ」と呼ばれていました。「みやこ」というのは大げさな名前ではありません。往時には天皇の代理たる斎宮に使える官僚の建物が平安京のミニチュアのように碁盤の目状に並んでいたのでした。今は、当時を偲ぶものは何もありません。のどかな田園風景が広がります。その下には遺跡が眠っていて発掘は昭和45年から長年に渡り続けられているようです。近くには斎宮歴史博物館もあります。

伊勢の大神に仕える斎宮はさかのぼれば卑弥呼に到るひとつの伝統のようにも私には思えます。


しかし、なぜ斎宮はここにあるのでしょうか? 伊勢神宮に仕えるのが役目であるならばどうしてもっと伊勢神宮に近いところにないのでしょうか? これについてはさまざまな説があるようです。今日、ご紹介したいのは、小川光三さんの指摘です。それは、斎宮三輪山山頂のちょうどま東にあるというものです。それだけでなく、小川さんはこの線上には長谷寺室生寺や箸墓など重要な寺や神社や古墳が並んでいると言います。しかも、三輪山から反対側にこの線を伸ばすと淡路島にぶつかりますがそこには伊勢の森という地名があり、その位置は三輪山をはさんで伊勢とほぼちょうど反対のところにあるというのです。
NHKが30年ぐらい前にこの説を取り上げて番組にしたのを当時、学生だった私は見ていました。


今はGoogle Mapがありますので、三輪山山頂からひたすら東へ移動していけば、本当に、ほとんどま東に斎宮が位置していることが確かめられます。皆さんも試してみてはいかがでしょうか?
でも、こういう人がいるかもしれません「なぜ、三輪山なんだよ? そもそも三輪山を選んだということが恣意的なんではないか?」 しかし日本書紀をひもとけば、伊勢のアマテラス大神は元々、宮中に祭られており、祟神天皇の時に宮中から離してさまざまな場所に移り、垂仁天皇の時に伊勢に鎮められたことが書かれています。そして祟神天皇の都は、まさに三輪山のふもとにあったと伝えられているのです。さらに、三輪山は山自体がご神体と今でも言われている神聖な山なのです。


斎宮の位置にまつわる話はこれだけで終りません。岡野玲子の漫画「陰陽師

を読んでいた時に、「白山と伊勢が同一子午線上にある」という主人公、安倍晴明のセリフが出てきました。漫画ではそのセリフについての追求はなく、このセリフは謎のまま放置されているのですが・・・。(余談ですが「陰陽師」にはたびたび謎のままに放置されている言葉が登場します。) それを読んで私はGoogle Mapで確かめたのですが、加賀一の宮である白山比め神社伊勢神宮は同一経度にはありませんでした。すこしズレていました。そこで、私は「なんだ、やっぱりそんな不思議なことはたびたびないよな。」と思っていたのですが、調べ直してみると、なんと白山比め神社と南北に並んでいたのは斎宮だったのです(2kmぐらいずれていますが・・・)。
つまり斎宮の位置は三輪山のま東、白山のほぼま南に当るのです!
これはやはりすごいことではないでしょうか?


なお、白山比め神社の祭神、菊理姫(くくりひめ)のみことは、日本書紀に一度しか登場しない謎の女神です。