プルターク英雄伝(十二)

私は岩波文庫プルターク英雄伝を(一)から(七)までそろえていたのですが、そのあとなぜか(八)から(十一)までは購入することなく、いきなり(十二)を買っていました。おそらく古本屋に(十二)しかなかったからでしょう。
この本は他の本に比べて分厚いです。その半分以上が附録で、この附録がいかにも情報量がありそうなのですが、全然、読めていません。今日は、ちょっと引用してごまかします。「訳者後語」というあとがきのようなところです。

訳者後語

 岩波書店のX君が--まだ戦争の始まらない時分の話--四ツ谷左門町へやってきて、『文庫』にもっと西洋の古典を翻訳して入れたいのだが、そういうものの場合、訳してくれる人に報いるところが少ないということは承知しているから、そこは何とか特別に取り計らうつもりで、その計画を立てかけている。ひとつあなたも何かおやりなさい、と言う。それは結構な話だが一体何をやらせようというのか、と訊くと、ホーマーをやれと言う。・・・・・・
 さてホーマーは取り下げにしてもらったけれども、では何にしますと斬り込んでくるのを防ぎそこなって、プルタークならやってみてもいい。あれは第一、悪文だそうだから、と答えた。その頃はまだ河盛好蔵君の『翻訳論』も我々の間に持ち出される前だったから、『鴎外は自分よりもアカン奴のものばかり訳しますな』という説は耳にしていないはずだが、自分としてはヨーロッパ語の名文をだらしのない日本語に直す気がなかなか出なくて、そんなことを言い立てていたのである。

 やっぱり悪文ですよね。それをこの人はその通りに訳しているみたいですから、とても読みづらかったです。


鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝」というサイトを見つけたのですが、このサイトを書かれた方はギリシャ語が読めるらしく、「岩波版は実に原典に忠実なガチガチの直訳」と書かれています。

 この岩波版英雄伝は歴とした原点からの訳であって、固有名詞は全てギリシャ語読みになっている。しかも、それらには詳しい説明がついている。その意味で非常に重宝する本だ。

 ところがこの訳は、山本夏彦が『私の岩波物語』に書いているとおり、信じられないほど退屈なもので、英雄伝とは名ばかりの読んでいてすぐ眠気がさす本である。だから、まったく読書には向いていないので、資料としてならともかく、読書用には購入をすすめられない。


 この訳は、プルタークの書いたギリシャ語から訳しているのだが、残念ながらプルタークの言わんとすることよりも、原文にどんな単語が使われているかを伝えるのに熱心なのだ。その結果、原文の息吹が伝わってこない。・・・・

 実際、ギリシャ語の原典と比べてみたが岩波版は実に原典(あるいはLoeb叢書の英訳)に忠実なガチガチの直訳である。しかし、文章に込められた真の意味、その言葉でプルタークが表現しようとした悲しみや歓びが再現されていないのだ。

鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝 Tomokazu Hanafusa氏 より


さあ、もう、これで「私の本棚」のプルタークは終わり。次、行くぞっ・・・て、次は・・・・アリストテレス「アテーナイ人の国制」ですか・・・・(ガンバレー)