私の原点のひとつ

私がサイバネティックス

に、こだわる理由のひとつは、それが私の十数年たずさわった仕事に、「わずかながら」つながっていると感じていたから、だと思う。

現在の超高速計算機は、原理上、自動制御装置の理想的な中枢神経系として使用できる。その入力と出力とは、数字や図形などである必要はなく、光電管や温度計のような人工感覚器官の読み、あるいはモーターやソレノイドの動作であってもよい。歪計や類似の装置を使ってこれら運動器官の動作を読み、また中枢制御系に報告、すなわち“フィードバックする”ことによって、人工の筋肉運動知覚を実現するとすれば、われわれはほとんどどのような精巧な動作でもなしうる機械を人工的に作製できる状態にある。


ウィーナー「サイバネティックス」の「序章」より


1982年、私はある半導体製造メーカーに入社した。その時からずっと私は、半導体製造工程をコンピュータで自動化することを自分の任務としてきた。そのような私にとって、1948年に書かれた上の文章はひとつの道しるべだった。
その文章は仕事で直面する技術上の問題についての指針にはなり得なかったが、コンピュータが大脳に対比され、工場全体が一つの大きな生物のようになる(本物の生物に比べたら、まったく複雑さに欠けるが)というヴィジョンが、当時の私を駆り立てていた。
「工場を生物化すること。」
それが私の当時見ていた幻影であり、私はそれを追いかけていた。会社からの要請がどうであれ、私はただのヴィジョン馬鹿として(「技術」馬鹿ですらなかった。技術もあまりなかった。)、工場がもっともっと進化していくことを信じていた。それに殉じるつもりだった。
時代もよかった。当時、日本の半導体産業は勃興期だった。よい仲間にも恵まれた。次々と新しい工場が建ち、そのたびに、制御システムは進化していき、工場の自動化の度合いも進展していった。
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やがて時間が経過し、マネジメント力のスキルアップをする気のない私はだんだん取り残され、2002年の不況時に早期退職を勧告された。好き勝手にやってきたのだから、しょうがないのかもしれない。その時になって、自分勝手な理想と時代の流れが調和していたあの頃のことを、あれは稀有な状況だったのだと、ようやく気づいた。


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反省しているわけではない。
「私は馬鹿を貫きたい」と強く思う。また、夢中になれるヴィジョンが欲しいのだ。(食う為には、もうけを気にしなければならないことは頭では分かっているのだが・・・)
「機械の、あるいはシステムの、生物化」というのは私の奥底にある強い衝動のひとつなのだろう。