「サイバネティックス」という本の「第2章 群と統計力学」(11)

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前回は最後に結論めいたものを書いてしまいましたが、実際には第2章にはまだ一つ話題が残っています。それはマクスウェルの魔です。次に述べるような「微細な仕組」があればエントロピーが減少し、永久機関が実現出来てしまう(だが実際にそんなことはあり得ない)、という物理学上の一種のパラドックスです。

気体の中で粒子が与えられた温度に対し統計的平衡にある速度分布に従って動きまわっているとしよう。・・・・・・この気体が剛体の容器にはいっているとし、それを二つに分ける壁があり、その壁にあけた出入口には小さな扉があって、人間の姿をした魔もしくは微細な機構の門番がその扉を開閉するようになっているとしよう。平均以上の速度をもった粒子がAの部屋から扉に近づくか、平均以下の速度をもった粒子がBの部屋から扉に近づくかすると、門番は扉を開き、粒子は扉を通る。しかし平均以下の速度の粒子がAの部屋から扉に近づくか、平均以上の速度の粒子がBの部屋から扉に近づくと、扉は閉められる。このようにすると高速度の粒子の濃度はBの部屋では大きくなるがAの部屋では減少する。これは明らかにエントロピーの減少である。

温度とは粒子の運動エネルギーにほかなりませんから、高速度の粒子がある部屋Aは高温、低速度の粒子がある部屋Bは低温の気体になります。よって、この温度差を利用すれば熱から運動エネルギーを取り出すことが出来ます。


このパラドックスを解決するのにウィーナーは次のような論法を使っています。

さてエントロピーの増加則は完全に孤立した系に適用されるものである・・・。したがってわれわれが増加則を云々し得る唯一のエントロピーは、気体と魔を一緒にた系のエントロピー

ある。


ところで

 マクスウェルの魔が活躍するためには、魔は近よってくる粒子から、その速度やそれが壁にぶつかる点についての情報を獲得しなければならない。

しかし量子力学の立場からいえば、問題の気体粒子のエネルギーに、情報を得るに使った光の周波数によってきまる最小のエネルギー以上の影響をはっきりと与えずには、粒子の位置もしくは運動量に関する情報・・・を得ることは不可能である。


このように気体と魔との間には相互作用があるので、気体と魔の全体を孤立系と見た場合には、この全体はいつかは熱的平衡状態になるだろう。つまり永久機関は出来ない、というのがウィーナーの結論です。


この論法の可否を私は論ずることが出来ません。Wikipediaの記事を見たところ、この問題は1981年まで議論されていたようで、最新の結論はウィーナーの論法を無効にするようなものになっているようです。


それはともかくウィーナーの話の流れの中で重要なのは次の2点です。

  • 1点目は、ここに「情報とは負のエントロピーである」という考えが現れていることです。しかし、マクスウェルの魔の思考実験から「情報とは負のエントロピーである」という結論を導く過程はここには、はっきりと記述されてはいません。
    • ところで上のWikipediaの記事に載っていることですが、マクスウェルの魔の思考実験から情報が負のエントロピーであると最初に言い出したのはレオ・シラードで1929年のことだそうです。
    • 正直なところ、私は情報のエントロピーと物理的なエントロピーの関係がよく納得出来ないままでいます。
  • 2点目は、マクスウェルの魔に似たことは生体内で起きているだろうと推測していることです。マクスウェルの魔は平衡状態になるまでにかなり長い時間があり、それまでの間はエントロピーの減少が観察されるだろう。そしてエントロピー減少のために活用されているのが「情報」である、とウィーナーは考えます。情報伝達を記述するための道具としてウィーナーは次の第3章で時系列の理論を展開します。

 次の章では、時系列の統計力学を論ずる。この分野では熱機関の統計力学の場合とはひじょうに事情がちがっており、生体内におこっていることの模型としてかなり役立つものなのである。


(第2章のおわり)

読者を非常に期待させる文句ですが、では第3章以降に生体内でエントロピーが減少していく様子を明確に解明した記述があるかと言えば、それはありません。以降の記述はその解明への試み、習作、といったもののように思えます。


「サイバネティックス」という本の「第2章 群と統計力学」(まとめ)」に続きます。