神とゴーレム(株)(God and Golem, Inc.)

私の大好きなウィーナーの著書です。この本は残念ながら邦訳される時に「科学と神」というつまらないタイトルに変えられてしまいました。この本は1963年に書かれましたが翌年にはウィーナーは亡くなったので、この本はウィーナーの遺言のような本です。もう、ずいぶん長いことこの本を所持しているのですが、読後感は、良質の魔術書を読んだ、というものです。役に立つオカルトですね(ってどんなんだ?)。現代において魔術といえば、それは科学のことでしょう。科学が現代の魔術です。で、その科学がキリスト教と衝突する場面はどんな場面なのか? 彼は、数学者であって工学者ではないのですが、(社会思想家という面もありますが、)彼の専門とする通信と制御の科学から、次のようなことを予測します。

  • 学習能力を持つ機械の出現
  • 増殖する機械の出現

これらが、キリスト教の世界観と衝突する、とウィーナーは考えます。学習能力を持つ機械や増殖能力を持つ機械の可能性をウィーナーは数学的に説明していますが、その内容を私はよく理解出来ていません。とにかくウィーナーはこれらの機械の作成が原理的には可能と思っています。


学習する機械については、キリスト教文化が身近ではない私にはちょっとピンと来ないのですが、旧約聖書の『ヨブ記』とジョン・ミルトンの『失楽園』をウィーナーは引き合いに出しています。どちらも神と悪魔の戦い(あるいは試合)の話です。そこで問題になるのは、「悪魔を創造したのも神であるならば、そもそも悪魔は神とまともな試合をすることが出来ないのではないか?」あるいは「作られたものが、作った者より能力が優ることがあり得るのか?」ということです。正統的なキリスト教であれば、神は万物の創造者であるがゆえに万物より優れている、と考えるわけです。ところが学習する機械が出現すれば、そしてその機械が学習によって、その機械の創造者より能力を高めることが出来たならば、創造者ゆえに優れている、という論理は崩れることになります。それは神と万物の間の上下関係を壊してしまいます。


増殖する機械の出現については、生物に近いものを人間が作ったということで、神と人との上下関係を危うくするものであることは、より明白です。それは一方では、人間を含む生物も実は機械ではないか、という疑いを持たせます。こうしてサイバネティクス、今の言葉でいうならば情報科学は、魔術に似たものになっている、とウィーナーは言います。そしてこの新しい魔術を利己的な目的に奉仕させてはいけない、とも彼は言います。
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こう書いていて、私はこの本をうまく要約できていないことを感じます。ウィーナーの書き方はいつも非体系的で、うまく要約出来ません。そこで要約することを離れて、私が私のオカルト的感性でハッとした個所をご紹介します。

 魔法とはどういうものであり、なぜ罪悪として非難されるのであろうか。悪魔教徒の唱えるミサはなぜあれほど忌み嫌われるのだろうか?
 それには悪魔教徒のミサ*1を正統キリスト教徒の見地から解釈せねばならない。なぜなら、それ以外の人にとっては、悪魔教のミサは、たとい醜悪であるにせよ無意味な儀式だからである*2。それに参加する人は、われわれの大部分[すなわち欧米人の大部分]が思っているよりはるかに正統キリスト教徒に近い*3。悪魔教のミサの中心原理は、聖職者は本当に秘蹟を実現させるのであり、聖さん式のブドウ酒とパンは本当にキリストの血と肉になるのだという通常のキリスト教の教理である。
 正統キリスト教徒と悪魔教徒は、パンとブドウ酒の聖化の秘蹟が行なわれた後には、その聖化されたパンとブドウ酒はさらに奇蹟を実現させることができると信ずる点で一致している。そのうえ彼らは、そのパンとブドウ酒をキリストの肉と血に化体させる秘蹟を遂行することができるのは、正当に任命された聖職者のみであると信じている点でも一致している。さらにまた彼らは、そのような聖職者は秘蹟を遂行する力を失うことはありえず、もし聖職者が聖職を剥奪されたならその人は秘蹟を行なえば必ず地獄に落とされるという点でも一致している。
 こういう信仰のもとでは、天国にはいけないが頭のいい人物が、聖さんのパンとブドウ酒の魔法を操ってその魔力を自分の個人的利益に利用することを思いつくのはしごく当然である。
 悪魔教のミサの中心的罪悪は、ここにあるのであって、神を恐れぬ乱飲乱行をすることにあるのではない。パンとブドウ酒の魔法は本来は善であり、その魔力を神の栄光を高めること以外の目的に転用することが大罪なのである。


それから、ゴーレムについてはまだ日本ではなじみがないので、少し説明しておかないといけませんね。

ゴーレム(ヘブライ語: golem)は、ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。「ゴーレム」とはヘブライ語で「胎児」の意味。

作った主人の命令だけを忠実に実行する召し使いかロボットのような存在。運用上の厳格な制約が数多くあり、それを守らないと狂暴化する。

ラビ(律法学者)が断食や祈祷などの神聖な儀式を行った後、土をこねて人形を作る。呪文を唱え、(emeth、真理)という文字を書いた羊皮紙を人形の額に貼り付けることで完成する。ゴーレムを壊す時には、(emeth)の( e )の一文字を消し、(meth、死)にすれば良いとされる。


Wikipedia ゴーレム」より


今日はこの本について書き足りなかったので、また、いつか続編を書きます。

*1:いわゆる黒ミサ

*2:アメリカ映画で悪魔的な雰囲気のストーリーの時、あまり怖く感じないのはこの辺に原因があるのかな

*3:そんなこと、非キリスト教徒から見たらあたりまえですね