人工頭脳と自己増殖――オートマトンの論理学概論 フォン・ノイマン
実は1ヶ月以上前に読み終えていたのですが、ブログに書く機会を逸していました。フォン・ノイマン1951年の作品で、サイバネティクスの初期の雰囲気を味わうにはよい論文です。読んだのは中央公論社の「世界の名著66」に所収されているもので、訳者は品川嘉也氏です。
内容は以下の目次からある程度推測出来ると思います。ノイマンはここでオートマトンを生物と複雑な機械の両方を指す言葉として使っています。そして生物を機械として理解しようとする知的努力と、その努力から明らかになった知見を機械に応用して機械を生物に近づけようとする知的努力がこの論文の中に満ちています。(「生物が機械なら、意識はどこからやってきたのか?」というのが私の長年の疑問なのですが。それを述べ始めたら小難しい哲学的議論になってしまうでしょう。)
- 前書き
- 1 序章
- 1.1 問題を二分すること。素子の性質と素子の公理的構成について
- 1.2 公理主義的方法
- 1.3 量の大きさの程度(オーダー)の重要さ
- 2 コンピュータの特性について
- 2.1 コンピュータ。その代表的演算操作
- 2.2 精度と信頼度の必要条件
- 2.3 アナログ原理
- 2.4 デジタル原理
- 2.5 雑音レベルを低下させるためのデジタル方式の役割
- 3 コンピュータと生きた生物体の比較
- 3.1 生きた生物体の混合した性質(脳の混合特性)
- 3.2 個々の素子の混合特性
- 3.3 スイッチ器官あるいはリレー器官の概念
- 3.4 大型計算機と生きた生物体の大きさの比較
- 3.5 素子の大きさの比率
- 3.6 大きさの比が極端である理由の解析
- 3.7 大きさの比の原因の工学的解釈
- 4 オートマトンの論理学の将来
- 5 デジタル化の原理
- 5.1 連続量のデジタル化。デジタル展開法とカウント法
- 5.2 二方法の比較、生きた生物体がカウント法を選ぶ理由
- 6 ニューラルネットワークの形式
- 6.1 ニューラルネットワークにかんするマッカロー・ピッツの理論
- 6.2 マッカロー・ピッツの理論のおもな結果
- 6.3 マッカロー・ピッツの理論の結果にたいする解釈
- 7 複雑さという概念と自己増殖
1から6までと7とは主題が若干異なっています。1から6までは脳とコンピュータの対比が議論されています。それに対して7では生物の増殖を機械が真似することが出来るかについて議論しています。この7の議論は大変興味深いのですが、そして読んでいると(それは数学的な議論です)ある程度までは理解できるのですが、それを現実世界に置き換えてみるとどのようなことを意味しているのか、さっぱり分かりません。それで私の心にはこの章がトゲのように刺さっています。
この自己増殖の理論はウィーナーの「サイバネティックス」の1961年に追加された第9章「学習する機械、増殖する機械」に言及されています。ウィーナー自身は別の自己増殖理論を持っているのですが、こちらのほうがもっと分かりづらいものです。
学習機械についてはこのくらいにして、つぎに自己増殖機械(self-propagating machine)について二三述べよう。ここでは、‘機械’、‘自己増殖’という両方の言葉がたいせつである。機械とは、物質の一形態であるとともに、特定の目的を成就する機能をもつものである。自己増殖とは、ただ自らのうつしを現実に作り出すだけではなく、自らと同じ機能を営めるものを作り出すことである。
ここで二つの異なる考え方がある。一つは純粋に組合せ論的(combinatorial)なもので、部品をふんだんに使い、構造を十分に複雑にすれば、機械が自己増殖の機能を持ちうるかという問題である。この問題は、今は亡きフォン=ノイマンにより、その可能性が証明されている。
ウィーナー「サイバネティックス」第9章「学習する機械、増殖する機械」より
1から6章まではウィーナーの「サイバネティックス」第5章「計算機と神経系」、第6章「ゲシュタルトと普遍的概念」と並行した議論ですが、2人の性格の違いが表れておもしろいです。どちらかと言えば、ノイマンのほうが明晰に書いています。ウィーナーはしばしば分野を越えた連想によって論述内容があちこちに飛びます。両方を読むと、この主題を複眼的に見ることが出来ておもしろいです。
ノイマンのこの本の、マッカロとピッツのニューラルネットワークの理論の意義についてその核心をズバリと述べた個所は、読んでいてさすが、と思います。
人間の神経系の活動は作用がきわめて複雑なので、普通のメカニズムではおそらくこのような活動と機能を遂行することはできないであろう、としばしば主張されてきた。本質的にこの限界を示すような特殊な作用をあげる試みも、しばしば行なわれてきた。・・・・・・・マッカロー・ピッツの理論の結果が、これに終止符を打った。それは、徹底的に、かつ曖昧さがなく記述できるものはなんでも―――完全にかつ明瞭にことばに置き換えられるものはなんでも―――適当な有限の神経回路網によって事実上実現しうることを証明している。逆の言い方は明らかであるので、われわれは現実の―――あるいは想像上の―――行動の様式を完全かつ明瞭にことばで記述することができるということと、有限の神経回路網によってそれを現実化することができるということとの間には、なんの違いもないということができる。
明瞭に仕様が書き表される活動であれば、必ずニューラルネットワークで実現可能である、ということですね。
第4章の「4.2 オートマトンの論理学が欠けていることによって受ける制限」「4.3 論理的オートマトンのそなえるべき性格」「4.4 誤差を取り扱う方法に論理学的オートマトン理論が欠けているための影響」についてもかなり重要なことが書かれているように思えるのですが、その意義を理解するにはもっと熟読が必要なようです。