古代アレクサンドリア図書館についてのメモ

アレクサンドリア図書館にまつわる話の最後を飾る悲劇的人物ヒュパティアのことをそのうちに書きたいので、その前に大図書館とセラペイオンの関係を明確にしておきたい。そのためのメモ。

上の本からの抜書き。


ムーセイオン(高等研究所)と大図書館について

 この辺で、古代アレクサンドリアの文化の港、ムーセイオンと大図書館が実際にはどのような建物だったかに言及しておくのも無益ではなかろう。それは、ミューズを祀る神殿に付属した、本棚のぎっしり詰まった多くの部屋から成る、古来の慣用的な複合建造物であったのか? あるいは寺院とは別個の建物であったのか? さらに、それはどこに在ったのか? 宮殿の一隅であったのか、または他の王室行政機関の所在する建物の一つとして、ブルケイオンに在ったのか?
 まことに遺憾ながら、ムーセイオンも図書館も遺跡が一切見つかっていないので、所在場所に関しては考古学者たちも臆測の域を出ていない。前48年にカエサルが船に火を放って生じさせた火災のため図書館の一部が消失したという史実からすれば、港からさほど離れていない場所にあったはずである。おそらくは、現在の大学がある地点、すなわち新アレクサンドリア図書館のすぐ近くであったろう。


「10 ムーセイオンと大図書館」より


「姉妹図書館」について

・・・・さしもの大図書館にも書物が収まりきらなくなった。溢れ出した書物は、当初は王宮の管理室や物置に運ばれた。やがてそれらを収納する二つめの図書館を建てる決断が下された。


 それを手掛けたのは、プトレマイオスIII世(善行王)である。祖父の特別な要請で造られたアレクサンドリアの新守護神セラピスを祀る巨大な寺院セラペイオンの一角に、この図書館(「娘」と呼ばれた。本書では以後「姉妹図書館」と表記する)が組み込まれた。


「2 プトレマイオス王家」より

なるほど、セラペイオンは「姉妹図書館」の別名としても使われるわけだ。



大図書館の消失について

 カエサルはわずかな手勢で、王宮は何とか守り抜いた。しかし市街地や造船所近辺――この辺りに集結し係留していたエジプト艦隊の戦艦の総数は72隻で、ローマ側の2倍だった――では激しい戦闘が続いていた。生き残るには、港に集結している戦艦を破壊するしかないと見抜いた彼は、「船に火を放て!」という有名な命令を下した。わずか数時間のうちに、エジプトとローマの戦艦は全て炎上した。この見事な戦術によって、カエサルは勝利したが、燃え尽きたものは船だけには止まらなかった。それは学問の世界にとっては取り返しのつかない不運な出来事を招来させてしまった。火の手は造船所から、貴重な冊子本(コデックス)や古文書(パピルス)の収納されていた倉庫へと瞬く間に広がっていき、さらに炎は海からの風に煽られて、ムーセイオンと大図書館の所在するブルケイオンへと向かっていき、偉大な文化センターの伝統を支え培ってきたほとんど一切のものが灰燼に帰してしまった。
・・・・・・幸いにも無事だったセラペイオンの姉妹図書館は、これ以後はアレクサンドリアにおける学問の中枢の役割を果たす。
 大図書館の一部が破壊されたことによって、アレクサンドリアの思想を生み出してきた学派全般にも大きな影響が生じた。初期の文法学者や数学者の著作は失われたために、知識人の関心は哲学に向けられ始めた。これ以降のムーセイオンの主導的学者は、心や魂を巡る諸問題に専心する傾向が顕著となる。


「18 クレオパトラと大火災」より

エジプトがローマ帝国に組み込まれたあともアレクサンドリアの研究機関ムーセイオンは存続していったが、理系の書物が火災で失われたため、以後は文系の学問に偏ってしまった、ということらしい。ヒュパティアはムーセイオンの最後を飾る人物だが、彼女の時代(370〜415)にはすでに大図書館はなく姉妹図書館だけが残っていたというわけだ。


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追記、訂正
先ほど私は「姉妹図書館だけが残っていたというわけだ。」と書いたのですが、これを訂正します。以下の記事によれば、ヒュパティアの活躍する前の紀元391年に姉妹図書館も破壊されていた、ということです。

 功名心に燃えた狂信的な司教テオフィロスが385年にアレクサンドリア大司教になる。その時の皇帝はテオドシウスI世であり、帝国全土にわたる大規模な異教弾圧を開始していたが、遂に391年の勅令で非キリスト教徒の礼拝所の破壊さえも公認するに至る。
 テオフィロスは逸早くこれを知るや、ローマ軍の支援の下に、熱狂して暴徒化したキリスト教徒を率いてセラペイオンに押し寄せ、自ら最初の一撃をセラピス神の立像に加えた。彼の行為を略奪と破壊の許可の合図と受け止めた支持者たちは、神殿も姉妹図書館も*1すさまじい勢いで破壊した。事件後、破壊をまぬかれたセラペイオンの一部の建物は奉献されて教会として利用された。姉妹図書館は学問研究所の実質的機能を全く失った。*2


「29 セラペイオンの略奪」より

そうだとすればヒュパティアはもう図書館の片鱗もない時代の最後の知性の華ということになる。ムーセイオンだけがかろうじて残っていたのだろう。

*1:強調はCUSCUS

*2:強調はCUSCUS