幸いあれ

池田信夫blogの「偽のニーチェ」に引用されたニーチェの言葉が私の心に響きました。ここで誤解ないように付け加えますと、この「偽のニーチェ」は、『超訳 ニーチェの言葉』という最近出たらしい本を批判したもので、池田氏が引用している言葉は「偽者ではなく本物の」ニーチェの言葉です。

おお、私の兄弟たちよ! いったい人間の未来にとっての最大の危険は、どういう者たちのもとにあるのか?それは善にして義なる者たちのもとにあるのではないか? すなわち「何が善にして義であるかを、われわれはすでに知っており、さらにそれを体得してもいる。このことで今なお探究する者たちに、わざわいあれ!」と口に出し、心に感じている者たちのもとにあるのではないか?(『ツァラトゥストラ』)

私はこの言葉が私にグサッと刺さるのを感じながらも、このように否定的に言うのはどんなものか、と思いました。たとえば、こう言い直してみたらどうでしょうか?


「何が善にして義であるかを、われわれはまだ知らない。このことを今なお探究する者たちに、幸いあれ!」


そこには高山の空気があります。すこし稀薄な、目まいを起こさせるような・・・・。

 なべてのものがわたしに向って新しく、ますます新しく光りかがやく
真昼は空間と時間の上にまどろんでいる――。


ニーチェ 「新しい海に向って」より