バテてしまった。

そんなに働いているわけでもないのに、昨日はバテて早退してしまいました。家に戻って窓を開けたら風がすずしく、クーラーなしでも充分で、風に当たりながらゆっくり休んでいました。さて、私の本棚で種村季弘の「怪物の解剖学」の次に並んでいたのは夏目漱石の文庫

で、昨日はこの中に収録されている「思い出すことなど」を寝ながら拾い読みしていました。


この「思い出すことなど」を私は以前から何度も拾い読みしながら、一度も読み通したことがありません。そんなに長くない随筆のようなものなのですが、それでも読み通したことがないのです。やはりどこかでこの随筆を怖いと私は思っているからでしょう。
 「思い出すことなど」は漱石43歳の時、胃潰瘍の療養先の修善寺で大量の血を吐き、30分ほど意識を失った生命の危機とその後のゆっくりした回復を記した随筆です。漱石の死生観が正直に出ていて、それが魅力でもあり、恐ろしくもあります。

 強いて寝返りを右に打とうとした余と、枕もとの金盥(かなだらい)い鮮血を認めた余とは、一分のすきもなく連続しているとのみ信じていた。そのあいだには一本の髪毛をはさむ余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ信じていた。ほど経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかり死んでいらしったのですと聞いた折りはまったく驚いた。


夏目漱石「思い出すことなど」より


漱石は49歳で死にました。私はもうその歳を越えて生きています。その割に気持はまだまだ子供のようです。
 このブログを利用して、「思い出すことなど」を読んだ部分の感想を書いておき、そのようにして最後まで読み通してみようか、と思いつきました。