ダフニスとクロエー


ここのところずっと読んでいなかったのですが、今回、読み始めたら歳のせいか涙もろくなっていました。これは別に悲しい話ではないのですが、それどころかハッピーエンドに終わる話なのですが、なぜ涙が出てきたかというと話があまりにもまぶしく感じられて、それが逆に自分の歳を自覚させらた、というところでしょうか。


ダフニスとクロエは紀元2世紀後半から3世紀前半といいますから日本で言うと卑弥呼が登場するかしないかという頃に、ギリシア語で書かれた、山羊飼いの少年ダフニスと羊飼いの少女クロエーの恋物語です。舞台はエーゲ海に浮かぶ島、レスボス島の主要都市ミュティレーネー(現在名ミティリーニ)です。

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この(古代ローマの)小説は、作者(として小説の中で登場する人物)がレスボス島で何か物語を表しているような美しい絵に出会ったところから始まります。そしてこの作者はこの絵を物語として書き留めたいと思い、この絵の物語を知っている土地の人を探して聞き出し、物語にまとめた、ということになっています。

 レスボスの島で狩をしていたわたしは、ニンフの森でこれまで目にしたこともない、世にも美しいものを見た。それは一枚の絵に描いた、ある恋の物語であった。
 樹木が茂り、花も咲き乱れ、一つの泉の吹きだす水が樹と花を育てながら、森中をうるおしているこのニンフの森も、たしかに美しかったが、見事な筆づかいで、ある恋の顛末を描いたその絵はさらに目を楽しませるもので、他国からもその噂を聞いてニンフへの願かけや、絵の見物のために、この森を訪れるものがひきもきらなかった。その絵に描かれているのは、産褥についている女たち、ついで赤子にむつきをあてている女たちの姿、捨て子にされた赤子、赤子に乳を与えている山羊や羊、その赤子を拾いあげる牧人たち、愛を誓いあう若い男女、海賊の襲来、敵軍の侵入など、いくつもの情景である。


ダフニスとクロエーと言えば、ラベルの曲も挙げておかなければならないでしょう。


恋物語そのものに記述を進める勇気のない私は、その周辺をうろうろして書いているのですが、以下もそのひとつの余談。
私はずっと、この小説の出来た時代をローマの五賢帝の頃、つまりローマの平和(Pax Romana)が完璧だった頃だと思い込んでいました。それはこの物語を読んでいて、底辺にいつも平和を感じるからでした。ところが今回、解説を読み直して、年代が紀元2世紀後半から3世紀前半であると書かれているのに気付きました。それは一体、ローマ帝国のいつの頃、と思って調べたところ、
180年が五賢帝の最後のマルクス・アウレリウスがウィーンの戦陣で病没した年で、その息子コンモドゥスも192年に暗殺され、その後は197年までローマ帝国は内戦状態、平和を再確立したセプティミウス・セウェルスの死が211年・・・とむしろローマの平和が傾いてきた頃だったのでした。


もうひとつ余談
物語の最後のほうでダフニスもクロエも本当は資産家の息子・娘であることが判明するのですが、私はダフニスがギリシア神話のアガメムノーン、オレステースの子孫であったら、と想像することがありました。あまり根拠のない想像なのですが、呉茂一の「ギリシア神話(上)」

の最後にこう書かれているのが、この想像のもとです。

エーリゴネーからもオレステースに一子ペンティロスが生れ、彼からしてレズボス島ミュティレーネー市の貴族の家柄ペンティリダイは血統をひいている。もっとも実際に移住したのは、一般に二代後とされていた(パウサニアース3・2・1)。