ローマは1日にして滅びず(2)

紀元410年

西ゴート族によるローマ劫掠

紀元378年の西ゴート族ドナウ渡河から32年、紀元410年8月24日、西ゴート族はアラリックに率いられて都市ローマを包囲しています。(1)で皇帝テオドシウスの側近に取り立てられたあのアラリックです。395年にテオドシウス帝が没するとアラリックと東ローマ帝国政府との間は一挙に冷え切りました。テオドシウスが残した男子はホノリウスとアルカディウスの2人。ホノリウスは西ローマ帝国を、アルカディウスは東ローマ帝国を継承しました。しかし、この2人のどちらも父親の賢明さを引き継いでいませんでした。一方、アラリックはトラキア西ゴート族の下に戻って、そこで王に推戴されます。そして東ローマ帝国内を略奪してまわります。



西ローマ帝国の将軍スティリコは軍を率いて、ギリシャを暴れまわっているゴート族を鎮圧しようとしますが、アルカディウス帝の大臣ルフィヌスが領土侵犯だと言って止めさせます。このルフィヌスは悪人で、アラリックに西にもよい獲物があるよ、などとそそのかします。かくして西ゴート族はイタリア侵入、これに対抗できるのはスティリコしかいません。このスティリコ、ヴァンダル族というゲルマンの一部族の出身でしたが、ローマへの強い忠誠心を持っていました。西に侵入してきたアラリックを何回か撃退するのですが、アラリックは逃げのびます。この頃西ローマの首都は都市ローマではなくミラノになっていましたが、この頃さらにラヴェンナに移ります。406年の大晦日、氷結したライン川を渡ったゲルマンの別の部族、ヴァンダル、スエヴィ、アラン族はマインツの防衛線を突破、略奪を繰り返しながらガリア(今のフランス)を越え、イスパニア(スペイン)まで到達します。西帝国がガラガラと崩れていきます。こんな時に西ローマ皇帝ホノリウスはスティリコの謀反を疑って逮捕させ、即、死刑にしてしまいます。まさに最悪のタイミング、この頃のローマを支えていたのはゲルマン人を初めとする蛮族の出身者だというのに。もう彼らはローマを信用しません。



このような事態の推移をみたアラリックは軍を立て直して都市ローマに進みます。ラヴェンナのホノリウスとの間に和平交渉が試みられましたが決裂。とはいえラヴェンナの政府は少しも救援軍を派遣せず、ラヴェンナに閉じこもったまま。こうして410年8月24日、西ゴート族は永遠の都ローマに侵入。3日間に渡って放火、略奪、暴行が吹き荒れました。



それでもローマは滅びない。その後、アラリックが急死し、新しい指導者アタウルフはゴート族を北へ率い、南フランスに腰を落ち着けました。西帝国の政府はボロボロでしたが、西ゴート族や、侵入したさまざまな部族との間に同盟を結び、帝国内にそれぞれの定住地を提供することで何とか秩序を取り戻したのでした。