ローマは1日にして滅びず(4)

紀元565年 ゴート族のドナウ渡河から187年

ユスティニアヌス帝による再征服

ローマ帝国は476年の西ローマ帝国滅亡にも関わらず、また国力を増大させました。ユスティニアヌス帝の時には東ゴート王国を滅ぼしてイタリア半島を奪回、アフリカでもヴァンダル王国を滅ぼしてカルタゴ(現在のチュニジア)を奪回し、最盛期にはおよびませんが再び地中海を取り巻く地域を領土としたのでした。この紀元565年というのはユスティニアヌス帝の没した年ですが、この時に476年を振り返ってみれば、イタリアを失ったのも単なるエピソードのように見えます。ローマ帝国発祥の地、都市ローマは再びローマ帝国のものになりました・・・・・。



でも、本当は元通りになったわけではなかったのです。実は東ゴート王国との戦い(世に言う「ゴート戦役」)は長期にわたり、また何度も熾烈な戦いがあったために、都市ローマはすっかり破壊されてしまったのでした。むしろ、東ゴート王国が健在だった頃のほうが法と秩序が保たれ、栄えていたのでした。そして、それはイタリアの国力が疲弊しているということであり、防衛力も少なくなっているということでした。ユスチニアヌス帝の死後すぐに、ゲルマン人の一派ランゴバルド族がイタリア半島に侵入し始めます。彼らはゆっくりですが着実にイタリアでの支配地を増やしていきました。


東でも、613年に宿敵ペルシアによってエジプトとシリアを奪われました。時の皇帝ヘラクレイオス1世は精力的な軍人であり、6年かけてこの地方を奪回します。ですが、この時にマホメッドによって覚醒させられたアラブ人が急速に力をつけてきたのでした。マホメットの死後2年目の634年、アラブ軍のローマ帝国への攻撃が始まります。ペルシアと死闘を続けてきたローマ軍にはそれに立ち向かうだけの力がもうありません。数年の間にふたたびローマ帝国はシリアとエジプトを失うことになりました。