自己流苦集滅道

お釈迦様が説かれる四諦、四つの尊い真理、とは、苦集滅道、と言いますが、私はいつからか、これを自己流に問題解決の方法という解釈をしています。こんなことを書くと仏教関係者から怒られるかもしれませんが、あくまで自己流の解釈ということで大目にみて下さい。


まず、「

  • 仏教では「世の中は苦であると知れ」と言うようですが、私の解釈は「何かうまくいっていない感じがするだろう? うまくいっていない、ということに気づきなさい」という、日常生活や仕事に対する指針を言っている、というものです。(あくまで宗教と関係のない話ですからね。自己流の解釈ですからね。) つまりは「問題意識を持て」ということです。問題があるのに問題に気づかない。これでは改善や進歩はあり得ません。問題解決の第一歩は問題に気づくこと、これが「苦」の意味だと解釈しました。

次に「

  • もともとの意味では、この「集」は苦の原因のことを指しているのだそうです。何で「集」が「原因」なのか私にはよく分かりませんが、とにかくそういうことです。そこで私の解釈。これは「問題の根本原因を探りなさい」ということだと思います。現れている問題のそのまた原因を深く深く掘り下げて、ああ、こいつが本当の原因だな、というところまで掘り下げる、これが「集」です。

次は「

  • 何を滅するのか? それはもうさきほど見つけた「問題の根本原因」ですね。これをなくしてしまいましょう、ということですね。私はそのようにも解釈しますが、あるいはこうも解釈します。さきほど「集」の段階で見つけた「問題の根本原因」が本当に根本原因なのかどうか確かめるために、その根本原因が「もしなかったとしたら、本当に今、現れている問題が消えているか、考えてみましょう」という指針です。「もしなかったら」と仮定してみて、その世界を想像してみる、ということです。その結果、どんなに楽になるだろうとか、どんなによいことがあるだろう、とか想像をめぐらすと、この根本原因をなくしてしまおうとする意欲が湧いてきます。これが「滅」です。(あくまでも私の解釈ですよー。)

最後は「

  • 道(みち)でございます。どこへ行く道か? 問題の根本原因をなくすという目的にたどり着くための道です。つまり方法を考えましょう、ということです。いきなりその根本原因を解消することが出来ればそれは結構なことですが、たいていは一挙に解決する、というわけには行きません。段階を踏んで解消するための計画を立てて、その計画を進めて(歩んで)行きましょう。ということで、この計画が「道」にたとえられていると私は解釈しています。


まとめると

  • 苦:問題に気づく
  • 集:問題の根本原因を見つける
  • 滅:根本原因がなくなった状態を想像する
  • 道:根本原因を除去するための道筋を考えて実行する

です。


お釈迦様は人生相談みたいなこともしていた(在家の人々の悩みを聞いて解決していた)と思うので、こんなコンサルタント手法みたいな解釈ありかな、と思っています。どんなものでしょうか?