ローマは1日にして滅びず(14)

紀元800年 カールの戴冠(2)

カールの戴冠より1年前のことです。

新しいローマ教皇*1レオ3世はローマの政争に巻き込まれた。・・・・事の発端は、レオが教皇に就任したことを喜ばないローマの貴族グループがレオの不品行を非難し、レオの廃位を画策したことにあった。・・・・・
運命的な事件は799年の4月25日に起こった。・・・・教皇は馬から落とされた。陰謀者たちは、教皇の目と舌を奪うとした。・・・・・陰謀の報を知り、ただちにローマに手勢の者を引き連れて急行したスポレト公ヴィニギスの手を借りて、レオは夜陰に乗じ、陰謀渦巻くローマの町を脱出し、スポレトに逃れた。教会分裂の危機に陥ったレオは、もはやカールを頼みにせざるをえなかった。
この知らせはただちにカールの耳にも届いた。


五十嵐修著「地上の夢 キリスト教帝国」より


あとから振り返ると決定的な出来事、と思われることが、ささいな事から始まるのはよくあることです。紀元800年のクリスマスという大掛かりな舞台も、単にその前年にローマ法王レオ3世が政敵に襲われた、ということに端を発しています。レオ3世はパーダーボルンの戦陣にいるカールのところまで逃げていきました。カールはその頃ちょうどザクセン族との戦いの最中でした。ここでレオがカールに何を話したのか記録がないそうです。しかしその後に起こったことでだいたいの推測はつきます。その後に起こったことはカールの軍勢に守られてのレオのローマ帰還、カールの部下による、レオを襲ったグループの首謀者の逮捕と裁判、翌800年のカールのローマ入城、そしてローマ法王による戴冠、でした。
ここから分かることはレオ3世は自分の地位を安定させるためにフランク王カールの支持を必要とし、その見返りとして彼にローマ皇帝の称号を提供することを提案したものと思われます。
 一方、カールは老師アルクインの助言によって、皇帝就任を決心します。アルクインはこう助言したのでした。

  • 「これまで3人の人間がキリスト教世界の頂点にいました。一人はローマ法王でありますが、いまや陛下*2の保護下にあります。もう一人はコンスタンティノープルの皇帝でありますが今は空位であります(アルクインはエイレーネーと皇帝と認めていない)。3人目は陛下であります。陛下はこの3人の中で1番強い権力とすぐれた見識をお持ちであり、教会の安寧はすべて陛下にかかっております。」


こうして西ヨーロッパにもローマ皇帝が出現しました。では、その皇帝が治める地域はローマ帝国だったのでしょうか? このあたりは、どうもはっきりしません。ローマ皇帝というのはカールの称号の1つだったような感じもします。
しかし重要なのは、のちの時代になると、この紀元800年の出来事が西ローマ帝国の復活と考えられるようになり、さらに、ローマ皇帝ローマ法王から帝冠をうけるべきもの、という固定概念が形成されたことです。なまじ、偉大な過去のローマ帝国の後継者を名乗ってしまったがために、この帝国の歴史はどことなくぎこちないのですが、そこに私は興味を持ちます。こちらの帝国もまた「幻想の世界帝国」だったのです。そして、この幻想が現実化しそうに見えたことが3回あったと私は思っています。


しばらくは、この「幻想の世界帝国」のあとをたどっていこうと思います。ローマという幻想は1日では滅びないのです。

*1:ローマ法王のこと

*2:カールのこと