節電中の東京

この水曜日と木曜日は出張で東京に滞在していました。私にとって震災後はじめての東京でした。東海道新幹線を降りてすぐに、東京駅構内の照明が暗いのに気づきました。そして、あちこちのエスカレータが止められていることや、切符の自販機の一部が稼動停止しているのにも気づきました。料金を表示してある大きな鉄道路線図に照明が入っていなくて、近眼かつ老眼の私にはちょっと不便でしたが、それ以外はあまり不便さを感じませんでした。もっとも朝晩のラッシュ時に遭遇していないのでそう思うだけなのかもしれませんが。


東京の電力事情が悪くなったことをニュースで知った時、自分が何となく憧れていた東京という都会の魅力の根源が実は電力というものであり(ビル群の窓の明りで構成される夜景が好きです。)、そしてその電力なるものが実は原子力という、今回のような大変な事態を引き起こす可能性のあるものによって提供されていたということに、ちょっと後ろめたさを感じておりました。要するに知らず知らずのうちにメフィストフェレスと契約していたような感じです。私は自分が都会に憧れていたからには、単純に反原発を唱えることは出来ないと感じています。今回、福島第一原発のために住んでいた土地を離れざるを得ない人たちや、生産手段を理不尽に奪われた人たち、に対して後ろめたさを感じながら、小声で「原発ってやっぱり悪い面のほうが大きいね」と言うぐらいしか出来ないように思っています。


ところが今回、東京の様子を見て、それほど魅力が減少しているとは感じませんでした。そのことに私は正直ホッとしました。このことは、まだまだ私がメフィストフェレスに騙されていることを意味しているのか、それとも原発なしでも、私が魅力と感じている諸々の物が存在できるのか、そこのところがよく分かりません。



夜、ホテルの部屋で一人で飲んでいて、もう1本ビールが欲しくなってふらふら外に出た時、桜に照明が当たっていないことに気づきました。私は、この近くの立派なお屋敷に見事な桜があったのを思い出して探したのですが見当たりません。何年か前に見た記憶があるのですが。ひょっとするとそのお屋敷はもうないのか、それとも私の記憶違いなのか、それとも酔っ払って全然別のところを探していたのか、いつの間にか迷路に迷い込んでしまったようです。