天火明命(あめのほあかりのみこと)(4)

天の火明の命はどこの山にどのように降りたのか、そのことを考え続けていたある年、確か愛知県一宮市の真清田(ますみだ)神社にお参りした時の神社のパンフレットだったと思うのですが、そこに「天の火明とは天の穂明でもある」というようなことが書かれているのを見て、ぱっとひらめくものがありました。この真清田神社は天の火明の命を祭る神社です。そのパンフレットには「穂明りとは、稲穂が実ってあかあかとしている様を表している」という意味のことを続けていましたが、私の頭の中では稲穂と明るくなる様子がイメージされ、日向の国の風土記逸文の記述を思い出させました。日向の国の風土記は現存せず、釈日本紀にその一部が引用されて残っています。これが日向の国の風土記逸文です。

日向の国の風土記に曰く、臼杵の郡の内、知鋪の郷。アマツヒコ・ヒコホのニニギの命、天のいわくらを離れ、天の八重雲を押し分けて、いつの道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。時に、空暗く、夜昼別かず、人、道を失い、物の色別き難かりき。ここに、土蜘蛛、名をオオクワ、オクワという者二人ありて、奏ししく、「皇孫の命、うづの御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ散らしたまわば、必ず明りなむ」ともうしき。時に、オオクワ等の奏ししが如、千穂の稲を手揉みて籾と為して、投げ散らしたまいければ、即ち、空明り、日月照り輝きき。因りて高千穂の二上の峯と言いき。

この話では主人公はニニギの命ですが、その命が日向の高千穂の峰に降った時は、世界が真っ暗だったというのです。そして命が稲穂を投げ散らすと、空が明るくなり、日や月が照るようになった、という神話です。私は、天の穂明(ほあかり)こそが、その名前からして(だって稲を投げて世界をるくするのですから)、この神話の主人公にふさわしいのではないか、と思いました。天の火明の命とニニギの命は兄弟なので、もともと近い神格なのかもしれず、それならばこの話が天の火明の命のものである可能性もあると思いました。





さて、天降りの様子はこれで分かったので(私は勝手に上の神話を天の火明の命の神話にしてしまいました。もっと証拠を出せ、と言われると困ってしまいます。このエントリーは私の妄想を記述していると思って大目に見ていただけたらと思います。)、次は天降りした山を探すことにしました。私はこの山はどうしても尾張の国の中になければならない、と思いました。一部の人々は尾張氏は最初の大和の高尾張という所にいて、それから尾張に移動してきた、と論じますが、私にはどうも信じられないのです。
尾張地方の古墳は木曽川流域、庄内川流域、名古屋の沿岸部と3つのグループを成しているのですが、このうち最後の名古屋の沿岸部のものは他の2つより時代があとであり、またそれらには、尾張氏の一族の墓であるという伝承があり、尾張氏の古墳であることがはっきりしています。木曽川流域の古墳群はおそらく古代その地域を支配していた丹羽臣のものと考えるのが自然です。残る庄内川流域の古墳を作った人々と尾張氏の関係ですが、私は庄内川流域の勢力が尾張氏の祖先に当たると思っています。古墳群の動きからは、尾張氏が大和から移住してきた様子は見えません。古墳時代以前に移住してきた可能性はありますが、その頃の伝承が古事記日本書紀がまとめられた時代まで残っている可能性は少ないと思います。私が今、探している神話は古事記日本書紀がまとめられた時代の尾張の神話です。その時点において尾張氏はそれまで尾張地方を長く支配してきており、自分達の起源伝承を持つならば、きっと尾張地方を舞台にしただろうと想像するのです。