佐美長神社は伊勢内宮の別宮である伊雑宮の所管社です。昨日は、ちょっと近くまで用事があったので、ついでにお参りしました。
佐美長神社の「さみなが」という名前の「ナガ」に、私は蛇の古語「ナガ」を感じます。それも女の蛇の神様、古事記のホムチワケのミコトの話に出てくるヒナガ姫のような・・・。
神宮会館の「お伊勢さん125社めぐり」には
祭神は五穀豊穣の神、大歳神。
古くから穂落社(ほおとしのやしろ)ともいわれている。祭神が真名鶴となり、稲穂を運び落としたのが千田(ちだ・稲を生ずる地)であると伝えられている。
とあって、蛇とは関係なさそうですが。
ここから伊勢に戻るバスは、1時間に1本あるかないかで、お参りしてから1時間強、待ち時間がありました。そこで、偶然見つけた郷土資料館に行ってみました。小さい郷土資料館でしたが、いろいろ情報を得ることが出来ました。このあたりは弥生時代の遺跡がほとんどないのに紀元500年頃から急に古墳があちこちに造られたことに、特に興味を持ちました。このあたりの地形は水田に適さない場所の面積が大きいので、弥生遺跡の少ないことは想像出来ます。では紀元500年頃から、どうして繁栄しだしたのでしょう? 私は、継体天皇の即位が関係していると想像します。継体天皇は尾張の連(むらじ)と関係の深い天皇です。私には、(尾張とか伊勢とか区別せずに)伊勢湾を中心とする海人の集団の力がこの頃、大和の勢力と結びついたような気がしました。そして、彼らは朝廷に鯛やあわびや海老、カニ、ワカメなどの海産物を供給していましたが、それは一方的に召し上げられるのではなく、朝廷から対価を払われていて、それが古墳を築くことが出来る勢力の源になっていたのではないかと思いました。さらに、彼らは同時に水軍でもあり、朝廷の軍事力の一端を担っていたのでは、など、想像が膨らみました。