三輪山 纒向(まきむく)(3)


大神(おおみわ)神社の摂社である狭井(さい)神社の横には、御神体である三輪山に登る登山口があります。


三輪山登拝について 注意事項」。登拝という聞きなれない言葉。
三島由紀夫の最後の連作「豊饒の海」の第2巻「奔馬(ほんば)」を思い出す。第1巻「春の雪」の主人公、松枝清顕(まつがえきよあき)が熱病に苦しむ中、小康状態を得た時に(この熱病で結局彼は20歳で死ぬのですが)、親友、本多繁邦(しげくに)に言った「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」という言葉が頭の中に響く。本多繁邦は悲しい恋の末に20歳で死んだ松枝清顕の生まれ変わりに、三輪山の滝の下で出会うのだった・・・・


私は時間が限られているので登りませんでした。



古代史では有名な「山之辺の道」を歩きます。めざすは桧原(ひはら)神社です。山之辺の道って、もっと大きい道だと思っていた。これでは自転車をレンタルしなかったのは正解だったな・・・。







桧原神社の由緒です。ここは伊勢神宮の神(=実体)がかつて居た場所であるということです。



これが「三ツ鳥居」です。桧原神社は鳥居だけがあり、拝殿も本殿もありません。大神(おおみわ)神社もこのような「三ツ鳥居」があるらしいのですが、許可なしには見ることが出来ませんでした。
大神神社狭井神社と個人的なことをお祈りしてきたけど、ここでは、震災で被害に遭われた人たちの、もとの生活への早い復旧、復興をお祈りしました。



振り向けば、遠く二上山を望まれます。この神社の真正面に位置します。
次の目的地は、邪馬台国女王、卑弥呼の墓である、との説もある、箸墓(はしはか)です。神話によればこの墓は三輪山の神、オオモノヌシの妻であったヤマトトトヒ・モモソヒメの墓です。ごく初期の前方後円墳です。