エジプトと聖書

エジプトと聖書 聖書の考古学 (5)

エジプトと聖書 聖書の考古学 (5)

 「あなたはナイルの水を飲もうとして、エジプトへ行くのは何のためか」とさらにエレミヤ二・一八は語る。
 これらの警告にもかかわらず、残忍なネブカドネザル[二世、バビロニア王、605-562]の時代にエジプトに逃亡した者の数はおびただしい。「そのため、大小の民および軍勢の長たちは、みな立ってエジプトへ行った。かれらはカルデヤ人を恐れたからである」(列王紀下二五・二六)。
 予言者たちはそれを知らざるを得ず(エレミヤ書四四・一六-一七)。エジプトに赴く人びとに恥と禍を滔々と予言したエレミヤは、ついにエジプトに連行されてしまった(エレミヤ書四三・六-七)。
 エジプト側の資料は乏しくてあまり明らかではない。ホセアはサルマナザル五世[アッシリア王、727-722頃]に打ち破られるとすぐに、(列王紀下一八・三によると)エジプト王セウェに心ならずも伝言を送ることを考えた。この名前は列王紀には記されていない。サルゴン[二世、アッシリア王、722-706]の年代記は、セウェは一介の将軍にすぎなかったとわれわれに明かす。当時真のファラオは存在しなかった。
 エジプト語によるいかなる資料も、天使により阻止された、701年のセナケリブ[サルゴン二世の息子、706-681]の計画に言及していない(列王紀下一九・三五、歴代志下三二・二一)。ヘロドトス[ギリシャの歴史家、484-420頃]はかれなりにこの物語を語る。エジプト王は、当時、セトスの名前を持つ神プタハ[メンフィスの神で、宇宙の創造者、神々の支配者であり、早くから昔からの神タネン、ソカル、オシリスと結び付けられた。]の神官であった。かれはかれの軍隊に棄てられ、商人や平民たちを連れてペルスに去った。神プタは田畑に多くのねずみをまき散らした。その結果敵は逃亡し、大多数が非業の死をとげた。現代人は、セナケリブの逃走は疫病が原因であると散文的に説明する。


「エジプトと聖書」の「第一部 王と場所」の「第三章 ダビデからエレミアへ」より


昔から持っている本ですが、上に引用した個所からも分かるように、大変分かりづらい記述です。まず、著者は読者が聖書の話に詳しいという前提で記述しています。さらに、エジプト学についても一定の知識を持っているものとしています。最後に、これは私の推測ですが、訳文がこなれていない、と思います。この本の全編がこのような調子です。著者ピエール・モンテ(1885〜1966)はフランスのエジプト学者です。この本の内容には興味深いところが多いのですが、何しろ読みづらいです。先日、ふと手にとって読み始めたのが上に引用した個所でした。一度、聖書を参照しながら、上記の個所の意味を探ってみようか、と思い始めました。まずは、エレミアについてWikipediaを見てみます。