Patientia(忍耐)

紀元2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスは、その治世の最後に貨幣の銘としてPatientia(忍耐)の語を選んだ。

Patientia(忍耐)―― 造幣局長官となって新しい貨幣鋳造の監督に当たっているドミティウス・ロガトゥスにきのうわたしは会って、わたしの最後の標語となるであろうこの銘を貨幣に刻ませるべく選んだ。わたしの死はわたしのもっとも個人的な決断、自由人としてのわたしの最高の隠れ家と思われたのだが、それはまちがっていた。百万のマストルたちの信仰は揺るがされるべきではなく、第二第三のイオラスをあのような試練にかけてはなるまい。わたしを取り巻く少数の献身的な友人たちには、自殺が無関心の、たぶん忘恩の、しるしと見えるであろうことをわたしはさとった。


ハドリアヌス帝の回想」の「忍耐」から


マストルはハドリアヌスの夜番を勤める男だった。彼にとって皇帝とはローマの神々にも近い存在だった。ところが彼はそんなハドリアヌスから、自分を殺せ、という命令(懇願?)を受けたために、驚愕のあまり逃げ出した。そして錯乱状態でいるところを周りの人々に発見されたのだった。
一方、若くて誠実な医者イオラスは、ハドリアヌスから、自分の苦しみを終らせるための薬、つまり毒薬を、自分に与えるように頼まれたのだった。ハドリアヌスへの同情と、医師としての倫理観の板ばさみになった彼は、結局、彼に残されたと見えた唯一の道、つまり、自殺、という道を選択したのだった。

夜ふけて、彼が実験室の中で、手にガラスの薬瓶をかかえたまま死んでいる、という知らせをうけて愕然とした。あらゆる妥協をすてた清らかなあの心は、わたしを少しも拒むことなしに彼の誓いを忠実に守る術(すべ)を発見したのである。


ハドリアヌス帝の回想」の「忍耐」から


ハドリアヌス忍耐を決心させたのは、これら2人の犠牲であった。彼は自分の老いを受け入れ、出来るだけ生をあきらめずに努力することを自分に誓う。