やと、やつ

ふと、横浜に住んでいた頃知った「谷戸(やと、やつ)」という言葉を思い出し、そしてそれと同時に、それらしい風景もフラッシュバックしてきた。あれは、舞岡公園の近くの風景だ。もう10年ぐらい前になるが、小高い山の裾野から田んぼが山に向かって広がり、山に近づくにつれて左右の稜線が近づいていき、どんどん幅を狭めてついには行き止まりになってしまう、そんな風景だ。それは山側から見れば扇状に田が広がっているということなのだが、あの田がついに途切れてそこからは山の世界が広がるという境界のところに私は何とも言えない興味を感じていた。今では山地が即、野生を意味するような状況ではないのだが、その境界が野生と人間界(田)との境界のように私には思える。私はそんなヤトのあたりを歩いていた時によく、常陸の国風土記に出てくる「夜刀(やと、やつ)の神」の話を思い出していた。

継体天皇の治世(紀元500年頃)にヤハズのウジのマタチという者がいた。マタチは、常陸の国、行方郡の郡役所の西にある谷の葦原を人を率いて切り開かせ、新たに田を開墾させた。この時に、ヤツの神という頭に角のある蛇が多数群れて現れて人々が田を切り開くのを邪魔した。このヤツの神の姿を見るとその人の家は途絶えてしまうと土地の人は信じていた。それで人々は逃げ惑い、開墾作業は頓挫してしまった。マタチはこのありさまを見て非常に怒り、自ら鎧を着け矛を取ってヤツの神を打ち殺して追い払った。追い払って山の登り口にたどり着いた。マタチはそこにあった堀に自分の杖を突き刺して境界の標としてヤツの神に「ここから上は神の所とすることを許しましょう。ここより下は人間が耕作するするところとさせて下さい。これからは私が神主となってあなたがたを永久に敬い祭ります。だから祟らないで下さい。恨まないで下さい。」と告げた。そして社を建ててヤツの神を祭った。


この「夜刀(やと、やつ)の神」は実は「谷戸の神」ではなかったか、と、当時はよく思った。そんなことをふと思い出した。