言語の解読は難しい

高津春繁著の「比較言語学入門」

比較言語学入門 (岩波文庫)

比較言語学入門 (岩波文庫)

は1950年発刊の古い本ですが、私はほかに類書を知らないので、この本を読んでいます。先月、ゴードン教授のミノア線文字Aの解読(定説にはなっていない)に関するレンズバーク教授の記事を訳したので、ゴードン教授の説を信じたくなっております。しかし、この本を読んでいて、そうも簡単にはいかないものだと思いました。別にこの本はゴードン教授の説、つまりミノア線文字Aの言語は北西セム語であるという説、を直接批判しているわけではありません。それどころかこの本の発刊はヴェントリスとチャドウィックの線文字B(Aではなくて)の解読(1952年)以前になされていますからゴードン教授の説が形成される以前のものです。
この本の以下の個所をちょっと記録しておきたいと思いました。エトルリア語解読の困難についてです。

この古代アペニン半島の有力な民族の言語(エトルリア語)は、およそ一万に達する多くの碑文を有し、過去数百年間多くの有能な学者の研究にもかかわらず、いまだに判読することができない。エトルリア語は多くの研究者によって軽率に種々の言語と関係づけられた。あるいは印欧語族と、あるいはイベリア語と、あるいはコーカサス諸言語と同系関係にありとせられ、その間に比較研究が行われて、荒唐無稽の対応と、これによる判読が発表せられた。これらの対応の多くははなはだ短い語根と思われる音節(多くは一音節)にのみ適用せられているのであるから、空想的な音韻変化によって容易に造り上げることのできるものである。多くの巧妙を極めた音韻変化上の工作が行われて、有為の才能が浪費せられたのであったが、かかる誤謬の最大原因はエトルリア語そのものの内的研究が行われがたい点にある。その碑文は量においてこそ多いが大部分は墓碑銘であって、内容が同じ種類の簡単なものであるために、異った表現が少く、ために異った文脈を得ることができず、従っていかなる判読もこれを他の文に当てはめてその正誤を験することをえない。


高津春繁著「比較言語学入門」より

ミノア線文字Aも「内容が同じ種類の簡単なものであるために、異った表現が少ない、よって「内的研究」が困難という点は同じ事情でしょう。