リヒャルト・ヴァーグナー「ジークフリート牧歌」


この「モエ系」の絵はあまりいただけないですが、この音楽は好きです。この音楽を聞いて、以前、「ニーチェの顔」という本

ニーチェの顔 (1976年) (岩波新書)

ニーチェの顔 (1976年) (岩波新書)

で知った、ニーチェ古代ギリシアの哲学者エピクロスについて書いた美しい断章を思い出しました。

前記の『漂泊者とその影』には、その頃ニーチェがはじめて訪れ、魅了されたサン・モリッツ付近の風景を讃えた一文がある。そこにゆくりなくエピクロスが登場するのである。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/66/The_shepherds_of_arcadia.jpg
Et in Arcadia ego(われもまたアルカディアに)。
――私が俯瞰すると、丘陵の波をこえて、モミや老い寂びたトウヒ(唐檜)のあいだから、青白い湖が見えた。私のまわりにはいろんな種類の岩塊があり、大地は花々や草むらに彩られていた。羊群が私の前を動き、寝ころび、背を伸ばしていた。遠くに牝牛どもが離れ離れに、またあるところではひとかたまりになっていて、澄みきった夕方の光線を、針葉樹林のそばで浴びていた。もっと近いところにまた別の群れがいたが、これはずっと暗く見えた。一切が静謐で、夕方の満足を味わっていた。・・・・左手には幅広い森林帯の上に断崖と雪原があり、右手には私の頭上高く、陽光のヴェールの中におぼろに漂うごとく、二つの巨大な氷結した岩角がある、
―― 一切が偉大で、静かで、明るい。総体の美が戦慄をそそり、美の啓示される瞬間の声なき礼拝を教える。知らず知らず、なんのためらいもなく、人はこの澄明な光の世界(それはあこがれだとか、期待だとか、前向きだとか、後ろ向きだとかいうことにおよそ縁のない世界だ)に、ギリシアの英雄たちを配したくなる。画家プッサンやその弟子たちが感じたとおりにである。英雄的で牧歌的なのだ。
――こうした気分で、自己を世界の中に、世界を自己の中に不断に感じた人たちがいた。その中には最大の人間の一人であり、英雄的・牧歌的に物を考えることの創造者、エピクロスもいた。


ニーチェの顔」氷上英廣著より