新・ローマ帝国衰亡史 市川高志著

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

最近、ブログを書く勢いが弱く、なかなか書けないです。・・・ふぅ・・・・。そこで、一気に書かずに、1つのエントリを何日もかけて書いてみようと思いました。・・・ふぅ・・・・。で・・・この本・・・・。私は、ローマ帝国衰亡史が好きで、「ローマは1日にして滅びず」というシリーズを書いたこともあります。あの壮大な文明が確かに一時期あった。あったことは遺跡から分かる。でも、今はない。ではどうしてなくなったのか。そういう疑問は古代ローマ時代の遺跡を見る時に自然にわきあがると思います。その思いがローマ帝国の衰亡の歴史を調べさせるのですが、これがもう込み入った歴史で、迷路みたい。複雑な様相を見せています。この本はその迷路の新しいひとつの見方を提示していると思います。(まだ、書きます。)・・・ふぅ・・・・。


新しい見方と言うのは、辺境から、あるいは国境からローマ帝国を見るという見方です。著者は、古代ローマ帝国の国境は現代の国境とは異なってあいまいであり、国境を越えてローマ文明の影響力が浸透するような幅のあるゾーンとして見るべきだ、と言います。そしてこのあいまいな国境を国境たらしめ、外部からローマ世界を守っていたのが、自分たちはローマ市民であるという自覚を強烈に持った国境警備の軍隊であった、としています。
古代ローマをローマ世界として存続せしめていたものは、この著者によればあと2つあります。そのひとつは地方の有力者とローマ権力中枢との支配体制における協力関係、著者の言葉で言えば「共犯」関係です。権力中枢は地方の有力者に「統治業務のいわば丸投げ」をしており、一方、地方の有力者は「ローマの力と権威を借りて、彼らの地元における支配力を強化した」という持ちつ持たれつの関係です。最後のひとつはローマ文明の魅力、あるいは同化力です。辺境の人々がローマ文明にあこがれ、ローマ化したい、と思えるような状況が存続する限り、ローマは存続しえた、という視点です。これらの条件が崩れることによってローマ帝国は滅亡した、というのは実は不正確な言い方で、というのはローマ帝国はこのあとも千年間存続したので、これらの条件が崩れることによって西ローマ帝国は、滅亡した、というのが著者の見解です。
このような著者の見解の延長として、著者は紀元406年、ブリタニア(現在のイギリス)駐屯軍の軍人であったコンスタンティヌスが軍隊によって皇帝に担ぎ出され、このコンスタンティヌスローマ市に攻め上るためにブリタニア駐屯軍を率いてガリア(現在のフランス)に進軍したことを重視しています。これはブリタニアの国境警備の放棄です。これが先に述べたローマがローマであり続けるための第一の条件、「自分たちはローマ市民であるという自覚を強烈に持った国境警備の軍隊」というものを破棄してしまいます。

イタリア防衛のために、そしてコンスタンティヌス3世の簒奪とガリア移動のために、帝国西半のフロンティア(=国境)を統御する軍隊はいなくなった。先述のように、ホノリウス帝はブリテン島の町々に対して、自分たちで町を護れと命令したと伝えられる。ローマは征服地に対して税を課し、軍事はローマ側の役割でかつ義務としてきた。ホノリウスの回答は、この義務の放棄を意味した。フロンティアの軍隊がいなくなったと同時に、ローマ帝国の曖昧な境界を実質化していた兵士たちの「ローマ人である」という自己認識も消え失せた。


「新・ローマ帝国衰亡史」 市川高志著 より

このことがローマをローマたらしめているもうひとつの条件、地方の有力者とローマ権力中枢の共犯関係、も切り崩していきます。

さらに、フロンティアでは、ローマ支配に組み込まれていた有力者層が、住民を直接支配下に入れてローマの統治システムから離れるようになった。外部部族が進入したガリアの大半の地域では、外からの新しい勢力が在地の有力者を吸収したり、所有者が逃亡したウィッラなどに住民が集まって勢力を成すようになったり、逃亡しなかった所領主のもとに住民が集まって勢力を形成するなど、いくつかの新しい形態が生まれてきたが、いずれにしても、もはやローマ政府から派遣される役人などを必要としなくなった。ローマは支配のための「共犯関係」にあったはずの有力者の力も失ったのだった。


「新・ローマ帝国衰亡史」 市川高志著 より

このような過程が西ローマ帝国で進行したのは、378年のゴート族とのアドリアノープルでの戦いでのローマ軍の大敗から、409年のブリタニアの支配権喪失までの30年間であるとのことです。409年以降、476年の西ローマ帝国の滅亡までの歴史はこの本では重視されていません。この期間の西ローマは帝国ではなくイタリアの地方政権に過ぎない、と著者は見ます。


この見解はそれなりに正しいと思うのですが、私はこの地方政権になってからのゴタゴタの歴史に妙に惹かれます。