ゲーデルの不完全性定理が分かったような気になった(これで何回目やら)

という分厚い本の中に

ゲーデルは“xという特定の数は証明可能ではない”という論理式の構築方法を示した。そういう論理式は無数にあったのだから、簡単な話だった。

という記述があって、長年、分からなかった(過去、何回も分かった気になったことはあった)ゲーデル不完全性定理の意味するところが分かったような気になりました。もともと私はゲーデルが取りあげたのが

  • この命題は証明可能ではない

という命題だと理解していたので、それがどうした、そんなものは単に言葉遊びじゃないか、だいたい「この命題」と言って自分自身を指しているのが反則じゃないか、と思っていました。


しかし、どうもそうではなく、

  • 1.
    • まず、全ての論理式を数字に置き換える。(コンピュータの中では全ての文章が数字で表されているように)
  • 2.
    • ある数字を与えられると、それを逆に変換すると論理式になる。(文法的に不正で意味のない論理式になる可能性もあるが)
  • 3.
    • そこでxという数字を考えた時、その数字を逆変換して出来た論理式が、ある論理体系の中で(有限の数の公理と推論規則に基づいて)証明可能かどうかを問題にすることが出来る。ただし、意味のない論理式は「証明出来ない」に分類される、と考えることにする。偽の論理式も同様に「証明出来ない」に分類される、とする。
  • 4.
    • そうすると「xは証明可能ではない」という命題は、命題として不自然ではない(と私は感じました。そこを感じただけでなく、もっと突き詰めて論理的に説明出来るようにならなければならないのですが・・・)
  • 5.
    • ところが「xは証明可能ではない」自体が論理式なので、数に変換出来る。その数がたまたまx自身だった場合も考えることが出来る(私は「xは証明可能ではない」を変換した数がxになることがあるのかどうか、あやしく思いますが、次のように考えて納得しました。「xは証明可能ではない」を変換すると数yになる。そしてもう一つ「y=x」という命題を作る。この2つを合わせて考えれば、実質的に、「xは証明可能ではない」を変換した数がxになる、と同じことではないか、と考えました。)
  • 6.
    • xは証明可能ではない」を変換した数がxになる、ということは結局「この命題は証明可能ではない」と同等だから、証明出来ない。

ということだと理解しました。あからさまに自分自身を指して「この命題は証明可能ではない」と述べているのではなく、xという数の性質について述べているだけで、それがたまたま自分自身に対応する数だったというふうに命題を構成できる、というところが、この定理の意味なのだと理解しました。


あとはおまけで

  • 7.
    • 「この命題は証明可能ではない」は真である。なぜなら、もし偽だとすると「この命題は証明可能である」ことになり、証明可能ならば真であるので、この命題は真になる。しかし、最初にこの命題は偽と仮定したので矛盾する。よってこの命題は真である。
  • 8.
    • このことは、「命題自身が真であるにもかかわらず、証明可能でない」ような命題が存在することを示している。


これでゲーデル不完全性定理が(その証明は分からなくても、何を言いたいのかは)分かったつもりになりました。でも、よく考えてみると、また分からなくなって・・・・・・