ジョージ・スティビッツ

今もまだコンピュータが誕生した頃のことを調べていますが、そうするとまた別の人物が登場してきました。ジョージ・スティビッツです。結局、デジタルコンピュータは誰が発明したのかという質問は、調べれば調べるほどわけが分からなくなります。コンピュータは少人数の人間の発明であるより、多数の人間が改造を重ねて徐々に姿を現したもののようです。


ジョージ・ロバート・スティビッツは1904年生まれのアメリカ人で、日本語版Wikipediaによるとベル研究所に勤務中の1937年(33歳)11月に2進数の加算を実行するリレー式計算機を完成させたということです。その計算機の名前は「Model K」というそうです。
1937年と言えばMIT在学中のクロード・シャノン(21歳)が論文「A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits(リレー回路とスイッチング回路の記号的解析)」を提出した年です。スティビッツの「Model K」の開発にシャノンのこの論文が影響を及ぼしたかどうか、私には興味があります。影響を受けて開発を始めたとしたらあまりにも両者の出来事が近接しています(シャノンの論文の発表はこの年の8月)し、ベル研究所の研究者がMITの修士論文をいちいち読んでいるとも思えないので、たぶん影響はなかったのではないかと思います。
さらに、1937年はアタナソフがABCの着想を得た年でもあります。スティビッツとアタナソフの間に何らかの交流があったかどうか、確証はありませんが、それもたぶんなかったのではないかと思います。私が推測するに、2進数のデジタルコンピュータのアイディアはこの1937年という年にいろいろな人の頭の中にひらめいたのではないかと思います。


その後の1938年には、ベル研究所はスティビッツをリーダーとするコンピュータ製造プロジェクトを開始したそうです。1940年にその成果として複素数を計算するリレー式コンピュータを完成し、それはその年の9月11日のアメリカ数学会でデモンストレーションが行われたそうです。そして「情報時代の見えないヒーロー ノーバート・ウィーナー伝」フロー・コンウェイ、ジム・シーゲルマン著、松浦俊介・訳

情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]

情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]

によれば、そのデモンストレーションの場にはウィーナーがいたということです。ウィーナーがブッシュにメモを送ったのがこの年の9月20日です。ということは、ウィーナーのメモはスティビッツの複素数計算機に影響を受けたものと推測出来ます。
特にウィーナーのメモの中の

  • ベル電話研究所がもっているある機構に採用された方法にしたがって、加算・乗算などの計算には10進法よりも2進法を用いたほうが経済的であろうということ。

という記述の中の「ベル電話研究所がもっているある機構」のところはこの複素数計算機のことを言っているのでしょう。


「情報時代の見えないヒーロー ノーバート・ウィーナー伝」によれば、このデモンストレーションの場には、のちにENIACを開発したジョン・モークリーもいたということです。モークリーがアメリカ科学振興協会でアタナソフに出会ったのがこの年の12月なので、それ以前に彼はスティビッツのデモンストレーションを見ていたことになります。