液体のマシン

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
昨年12月から公私ともにいろいろ出来事がありまして、なかなかネットに関わる気力がありませんでした。新年早々テンションが低くて申し訳ありません。m(__)m でも、何か書いておかないと、このまま続かなくなるかも、と思い、書くことにしました。最近

を読みました。この本の中にはおもしろい個所がいくつもあったのですが、そのひとつについて書きます。

堀江 本当に死っていうものが本質的にどういうものなのかってのは、僕まだ全くよくわかっていないんですね。人間を細胞の塊ととれば、昨日の自分と今日の自分とはちょっと違うわけですよ。面白いじゃないですか。細胞って、もっと言うと細胞を構成している分子っていうのは、どんどん入れ替わってるわけですよ。人間ってたぶん一カ月二カ月経つとほぼ入れ替わってるっていう説もあるみたいで。(中略)
要は、分子ってのは全く入れ替わってるのに、「自分は自分である」っていう、そのサステナビリティみたいなものが僕は興味深いと思うんですよね。

「人間ってたぶん一カ月二カ月経つとほぼ入れ替わってるっていう説もあるみたいで」というような説については随分前から知っていたのですが、堀江氏の口調に触発されたのか、これを読んで、「ああ、生物とマシン(機械)が違うのはここだ!」と腑に落ちました。20世紀後半からの情報技術の進歩によって機械はそれ以前よりも随分生物に近くなったのですが、まだまだ生物との距離はものすごく大きいと感じます。それは何が違うのかな、と長年ずっと思っていたのですが、現在までの機械はその構成要素(分子)が固定されている、それとは対照的に生物では構成要素(分子)がどんどん入れ替わっていく、ということに思い当たりました。構成要素がどんどん変わっていくのになぜ安定した複雑な構造を保ち得るのか、それが謎なのですが、そこに生命の鍵があるように思いました。そして未来のマシンの発展方向を想像すると、それは自分自身の構成要素を入れ替えしていくようなものであり、そのためには生物がそうであるように、大部分が液体で構成されていなければならない、と思いました。一方でマシンは何らかの複雑な構造を持たなければ有用な機能を示すことが出来ません。しかし液体でありながら構造をもつとは、どういうふうにすればよいのでしょうか? やはり生物と同じように細胞膜のような膜構造を用いるのでしょうか? 液体のマシン、それは私たちが普通想像するマシンとは大きく異なっているでしょうが、そのようなマシンについてしばらく空想してみました。



と、ここまで書いて、上記の引用がよくなかったかな、と私は思っています。私が上に書いたように考えたのは事実ですが、堀江氏の上記の発言は、彼の死生観を示すような、もっと深いものでした。もう少し引用を続けます。

堀江 本当に死っていうものが本質的にどういうものなのかってのは、僕まだ全くよくわかっていないんですね。人間を細胞の塊ととれば、昨日の自分と今日の自分とはちょっと違うわけですよ。面白いじゃないですか。細胞って、もっと言うと細胞を構成している分子っていうのは、どんどん入れ替わってるわけですよ。人間ってたぶん一カ月二カ月経つとほぼ入れ替わってるっていう説もあるみたいで。(中略)
要は、分子ってのは全く入れ替わってるのに、「自分は自分である」っていう、そのサステナビリティみたいなものが僕は興味深いと思うんですよね。時系列で自分は自分であるってことを記憶してる回路みたいなものが面白くて。つまり自分は堀江貴文だと思ってるけど、それは単なる思い込みだって話です。それがなくなるのが死なわけじゃないですか。単なる思い込みだなって思ったら最近気が楽になったんですよ。俺って「俺だ」っていう思い込みによってできているんだなっていう。堀江貴文だって思ってるから死が恐いんであって、「俺堀江貴文じゃないのかな」「ないかもしんない」って思えば。

瀬戸内寂聴との対談ということもあってか、かなり仏教的なことを堀江氏は言っています。ただ、寂聴さんはそこから仏教的な話を引き出すようなことはしていません。この対談の最後はこういうふうに、あっけらかんとして終わります。

瀬戸内 (中略)さて、で、堀江さんは死への恐怖はどう解決つけているの?
堀江 結論的には、宇宙という人知を超えた観測できない世界があるってことで、死という現象も恐がらなくていいと思い込みつつ、寿命を延ばす老化防止のテクノロジーに投資すると。そして何より忙しくして死を考えないようにするという、複合技で対処するしかないんじゃないか、と思っています。
瀬戸内 忙しくして、というのが結論って、すごいわね(笑)。

さらに言えば、この対談はこの本に収められた9つの対談のうちの最初の対談であって、これに続くあとの8つの対談ではもっぱら生きることについての対談になっています。